人の発表を聞きながら漠然と考えていた。わかりやすさってなんなのだろうとか、説明するってどういうことなんだろうとか。○○は××で××は△△という意味で…という説明では何が何だかわからない。具体的なイメージは浮かばない。そうではないんだ。説明というのは、何か流れる一本の川のようなストーリーになっていて、そこを下るボートの先頭に立って流れにのせていくような、そういうものなのだ。と僕は思ったりする。厳密に緻密に話を詰めると、流れが見えなくなる。でも流れに乗ることだけを考えていると上っ面を撫でるだけで正しくもないし魅力も伝わらない。そのバランス。ある一本の流れる川のような思考を持ってストーリーを組み立てて緩急をつけて、それは難しい。

僕が頭が悪い最大の原因は出発点と終着地点が見える時に、そこまで行く過程を説明することを放棄している点にある。そこに川を引き水を流し、マクロにミクロに道筋を作れること、そしてそれを人に見せることができるということが頭のよさなのではないかと思ったりする。

僕は。それを放棄している。いや、放棄しているわけではないのだけれども、思考が図であるために、それを言葉に落とし込む時に削がれるものを考えると面倒になってしまうのだ。何を話しても正しくはない。正確ではない。思った通りには伝わらない。その景色を、その光景を、その明るさを、まぶしさを、美しさを、伝えきるための言葉が足りない。言葉だけに頼るなら僕は抽象概念と取っ組み合うこともできるけれども、それはどこまでも抽象概念であって具体的なイメージは伴わないからひとには理解してもらいにくい。