あぁ、苦労をしたことのない人を「お嬢さん」と呼んでしまうのだなと今日改めて思った。苦労しているつもりで、でも対して苦労などしていなくて、一人で生きている顔をして実のところなにもかも甘い。見通しが、リスク管理が、甘い。そういう人を「お嬢さん」「お坊ちゃん」と呼んでしまう心理が、僕の中にある。そして、なぜ自分はそちら側ではないのだろうと考えてしまう。考えるだけならいい、憎々しいとすら思う。その不満を、愚痴を聞くたびに、そんなに恵まれているのに何を言っているんだとばかりに憤りが噴き出してくる。僕は、僕が犠牲にしたあの日々を、当たり前のように踏み台にしたその先で僕がやっと手にしたものがないと不満を言ったり、僕が大事にしているものを簡単に貶めたりする彼らに憎しみを覚えずにはいられない。なぜ僕ばかり貧乏籤を引くのかと嘆かずにはいられない。叫ばずにはいられない。慟哭の情念に突き動かされて毒づかずにはいられない。
そんな自分が醜いことはわかっている。わかってはいても、どうなるものではない。この惨めさや哀しみや憤りを他の形に変えることはできないから、だからどうしようもない。僕は部屋の隅で膝を抱えて唇を噛みしめるしかないのだ。あぁだから、だからお願いだから、あなたにはこの思いをわかってほしい。このやるせない思いを、理解できなくてもいいから、わかってほしい。そして僕がこれ以上醜くならないように、その腕の中で泣かせてほしい。なぜ、どうしてとわめきたくなるぼくの頭を優しく撫でて。言葉は要らない。ただ、そばにいて。