昨夜二十歳のころを思い出していた。別に思いだしたいわけではないけれども、体の中に膿のように怨嗟がたまってくるから定期的に絞り出してやらねばならぬのだろうと思う。いつかその膿もなくなるのだろうか。それとも芯まで絞り出さなければならないのだろうか。


すべてが明るかった。明るすぎて眩しいと思っていた。馬乗りになって僕を殴りながら首を絞めてくるその顔が今となっては思い出せない。僕はここで死ぬのだろうかと思っていた。やけに音が光が強烈に流れ込んできていた。たぶん瞳孔が開いていたのだろうと思う。体中が生きることにしがみついて僕の首を絞める手の肉を抉り僕はまた殴られたがだがそれが功を奏したのか死ななかった。僕は長いこと床にうずくまって頭を抱えていた。涙も何も出なかった。それからのことはよく覚えていないが、案外理性的に動いていたのではないかと思う。何もかも心の中から閉ざして生きるためだけに言葉を選び、僕は僕自身を殺してぎゅうぎゅうに押し込めて笑った。涙は出なかった。

そんな状態があったことを父は知っていたという。知っていたと言った。しかもそのあとに病気だったんだ、だから仕方ないとさえ言った。まるで僕にあの出来事は何もなかったことにしろとでも言いたげな言葉に僕はただ黙った。あの頃も今も、彼は助けなかった。僕のことを見ないようにして、自分を空気にして逃げていた。昔からそういう人だった。よく知っている。思春期の僕はそんなところを心底嫌悪したものだ。今となっては何も思わないが、父との距離がいつまでも他人よりずっと遠いのはそういうところにあるような気がするし、僕の男性不信もそのあたりに依るもののような気がする。


あのころから僕はもともとあまり主張しなかった自分の意見を全く主張しなくなった。よく分からなければ笑い、腹が立てば笑い、納得いかなければ笑うようになった。夜、物音が少しでもすれば目が覚めた。壁や天井の薄い古いぼろ屋では上の階の夫婦が夜に控えめな音を立てることがあったがそのたびに僕は目を覚ました。遠くで大きな車が道路を走ればその振動で目を覚ました。僕は何かに時々とり憑かれたように、食べるのをやめてしまったり水分を撮るのを忘れてしまったり、何日も起きていたり、睡眠時間を削って働いたりなどしていた。僕の体が確実に心に蝕まれ、あちこちが故障していった。

そんな僕の状態は他人の目から見ても明らかにバランスを崩していて、当時付き合っていた彼は怒って僕を問い詰めた。そしてついにバランスを完全に崩してわめき始めた僕を見てことの詳細を知ったのだ。彼は、この件に関しては逃げなかった。その後知ることだが、彼の家もまた僕の家とその形は違えど似たようなところがあって、彼はそれから逃げるべく一生懸命に動いていた。だから彼には僕がなぜおかしくなったかわかったのだろう。守ろうとしてくれる手があったから僕は正気を失わずにいた。立ち向かっては砕け散ってもその手は僕の破片を集めてまたつなぎなおしてくれた。時差はあまり関係なかった。


その後、彼の方がバランスを崩した時もぼくらは同じように肩を寄せ合ってその時間をしのいだものだ。僕ができることは、僕がしてもらったことに比べればずっと少なかった。と、僕は思う。もっと何かができたのではないかと。彼は結局やはり逃げる道を選び、それに伴って生まれる諸々のめんどうくさい彼の家族との付き合いを僕に押し付けようとした。彼はそれが当然だと思っていた。彼の育ってきた環境がそれを是としたから、彼は当然のように受け取ってもらえると思ったのだ。でも僕はできなかった。あなたもやはり、彼らと同じなのかと絶望し、もし僕にもう少し力があればこんな結末にはならなかったのではないかと何年もくよくよと悩んだ。応える声はなかった。僕がかろうじて保っている正気ももう土台が腐りきっていて傾いていた。


あの時見ていた景色はなぜかいつも美しく、僕の中に溶けるように染みいってきていたのを覚えている。僕はその景色を失いたくなかった。だからあの街にとどまり続けることを選んだのだ。何年も、何回も季節は巡って去っていった。いくつかの別れと出会いを経験し、気付かないうちに年月は過ぎ去って振り返れば僕は大人になっている。あれから6年。もう6年なのか、まだ6年なのか。しかし僕はまだしばらくこの怨嗟に苦しめられ続けるのだろう。