愛はリリックではない。何かの言葉を他の言葉に置き換えてもそれは単なる言葉遊びでしかない。
そうではないのだ。
たぶん同じ問題について真剣に語り合うこと、あるいはお互いのポリシーに関してすり合わせをするためにルールを定めること、そのために費やす時間と言葉のなかに愛がある。同じ問題を見つめる目に、重ね合わせる手に愛が宿る。
言葉遊びとして楽しむことはするけれども、実際のところ結局は同じ話を何か違う着地点を求めてともにさまよえるかどうか、ということのような気がしている。そしてそれは万国共通の普遍的なものなのだろう。人生という長い旅において、ともに歩く仲間がいるだけでその景色は途端に色鮮やかに生き生きと踊り始めるのだ。
愛は語るものではない。語りあう言葉から生まれてくるのが愛なのだ。だから同じ言語をしゃべり近い価値観を持ち、同じ共通認識を持ち前提を有しているほうが楽なのだろう。そうでない人とお互いの溝を飛び越えて手をつなぐのはやはり困難が伴うのだ。怠惰な僕にはきっとできない。できなかった。