ああ感想を言葉にしたくない。ことばにすると逃げて行ってしまうような気がする。そしてまたことばが笑うのだ。慌てふためく僕を見て何もかも知っているような顔で言葉は笑うのだ。
静寂を。喧噪を。よい写真というのは音すらもその中に内包しているのだと僕は思った。その空気すらも記録するのだと僕は思った。歓声、怒声、怒気をはらんだ空気、未知に興奮する子供ら、日常のけだるさ、醜いものへの罵倒、克明に記録されるそれとその目が見ていた景色と、気温と、風の匂いと、天気と。白黒にもかかわらず生き生きと伝わってくるその色。光の眩しさ。動き出す人々。笑顔が。しかめっ面が。泣き出しそうな顔が。おびえた顔が。
感覚が研ぎ澄まされていくようだ。僕は誰かの目になり誰かの思考をトレースし、誰かになりきろうとする。その一枚一枚に対峙するたびにその中に没頭する。没頭できる作品とできない作品がある。わからないなとつぶやく。あぁと感嘆する。微笑む。泣きたい気持ちになる。
写真は魅力的だ。思いのままにその場面を再構築することができる。僕は観客であるが同時に撮影者にもなる。