道具と仲良くなるということ

新しく買ってきた道具に対して「仲良くなる」という表現を僕はよく使うけれども、基本的にははじめ新しい道具に対峙する際にそれが何者なのかを知ろうとする欲求は強いような気がする。あれやこれやほじくりまわして使いこんで、その道具の使い方や独特のくせや、数限りない機能を一つずつ試していく、ということ。写真なんかを見ているとわかりやすい。手に入れてすぐのカメラでは、近くにあるものをとにかく撮ってみたり、鮮やかなものを試してみたり、くらいところで撮影したり、かなり無理な使い方をしてみたり、あるいはよくある構図を試してみたりなどして試行錯誤している自分自身が浮かび上がってくる。僕はたぶん、写真を撮りたいのではなくカメラを使いたいのだ。その瞬間、その時は。それがある程度のところで飽和状態に達して、そこからは画像の質を高める方へスイッチが切り替わっていく。それもいずれ飽和状態に達するか自分の限界を知って、そこからやっと、僕の目として、僕の記憶として、景色を切り取っていくためにカメラを使い始める。そういう状況になることを僕は仲良くなる、と言う。
いろんな人がいて、ひたすら画像の質を高める方向で限界を超えるべく頑張る人もいるし、もっと早い段階のカメラの使い方を習得した時点で満足してやめてしまう人もいる。あるいは最初からそうやって仲良くなることをせずに景色の切り取り方から始める人もいる。道具との付き合い方は人それぞれで、その道具の種類や性質によってもまた人それぞれで、各個人の哲学なりポリシーなりを聞いてみると面白いのだろうなぁと思ったりする。

僕はきっと、道具を自分の体の一部に取り込んでしまいたい人なのだろう。