昔の文章を推敲

母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころは確かにそうだった。しかし、いつまでも私は子供ではないのだ。私はいずれ母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は、困らせればすがりついてくると思っているから、またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも捨てるのだ。親もきょうだいも何もかも捨てて、過去は断ち切るのだ。
まともな生活を、普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が私に言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が私に言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人からは言われる。この世界には、居場所を奪わない人がいる、失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいて、そういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、いうなれば幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。なれると信じている。