何も考えずに、とは書いたけどひとつだけ考えていたことがある。
僕はそんなに能力が高い方ではない。不器用だし、キャパシティも小さいし、理解力がものすごいあるわけでもない。間違えても気づかないし、なんとなく正しい方向を選べるわけでもない。世の中には僕よりもずっと能力の高い人達がいる。ということを僕は知っている。
そういう僕がただひとつだけ出来ることは、継続していくということだけなのだ。自転車にしてもそう。買ったはいいけれどやめてしまう人はたくさんいる。最初の数カ月は喜んで乗っても一年は続かない。カメラにしてもそうだ。どんなことにおいても僕はゆっくりならゆっくりなりに、間違えているなら間違えているなりに、遠回りをしながらもただひたすら続けていくことができる。そういうしつこさを持っている。逆に言うとそれしかもっていない。
継続力のある能力の高い人というのももちろんいるのだけれど、そうでない人はもっと多い。はじめてすぐに一気に追いぬかれて置いていかれるという体験を僕はなんどもしたけれども、はじめから上手く出来る人達はすぐにやめてしまう。いつの間にかいなくなっている。はじめ上手くいかないのに続ける人はさらにもっと少ない。
これから僕がすべきなのはそういう継続していくものを絞っていくことなのだろう。僕は始めたら何でもかんでも継続する。日記にしてもそうだ。10歳の時にはじめて以来そのやり方は色々変わっているけれども書かなかった日の方が少ない。そうやってちまちまと続けてきたいろんなことが積み重なって僕の毎日を形成している。形成しているけれども、それも数が増えれば破綻する。僕は何を取捨選択すべきなのか。もうそろそろ絞ってもいいのではないか。いや、まだもう少し。
そういうことを考えていた。

日に日に衰えていく自分自身というのは常に意識している。体力が年々低下している。回復力がどんどん無くなっている。負荷が高い状態を長期間維持することが難しくなっている。その事自体は5年くらい前から気づいていて徐々に方向を変えてはいるけれども、自分自身の変化より自分自身の劣化の方がずっと早い。どうすべきなのか、どうやっていくべきなのか。わからない。