長い言葉を口に出せない。いったそばから間違っているか矛盾しているか、ずれていることは分かっているから、口に出せない。それでもまだましだ、まだ。
あの時は何でもなかった。ただ少し眠いだけ、ただ少し疲れているだけ、ただ少し体調が悪いだけ、ただ気力がないだけ、そう思いながら毎日を過ごしていただけだった。それなのに思い返すと、振り返ると、あのころの記憶を呼び戻すと、あの重苦しい日々の中で呻いている自分自身の声が聞こえる。あのなかでさえ無上の喜びがあり、軽やかな笑い声を立て、未来に希望を抱き、どういうわけか生きていた。生きていた。なぜだろう。その喜びも希望も明後日の方角を向いていたのに、僕にとってはそれが実感を伴って未来につながると信じることができる何かだった。

今なら、あの時の医者の処方が正しかったことが分かる。たった数回通院しただけで切り替わった処方と治療方針を僕は自分でそう仕向けたと思っていた。はいはいとうなずいていたからそうなったと思っていた。本当のところは病気の自分を演じたいだけなのだろう、それを言い訳にしたいだけなのだろうと思っていた。でもきっと、明らかにどこから見てもおかしかったのだろう。表面を取り繕って本人が正しいと信じて疑っていなかったから、世界が破綻していないように見えていたけれど、他人から見れば不連続極まりなかったに違いない。その状態がもうずいぶん長いこと続いていたのだということも今なら分かる。そしていつまた悪いほうへ引き戻されるかわからないことも自分で分かっている。溝を、深い絶望の淵をのぞきこんでしまったら、その存在を幻だとは断言できなくなるのだ。