お茶漬けがうまい

週末の楽しみでよくお茶漬けを食べに行く。日曜日のビジネス街は、しかし地下は込んでいて、人ごみを縫って改札を抜けるまで息をつけない。昼過ぎから夕方にかけての人の少ない時間帯を狙って、いつもの店に行く。
その店は職場の近くだ。でも、平日に寄ることはない。いつもいくのは週末だ。店の前の看板でメニューを選ぶ。どれも試してみたくなる中で、今日はちょっといいものを、今日はちょっとさっぱりしたものを、とその日の気分で選ぶ。食券販売機に1000円札を突っ込んでいると後ろからいらっしゃいませの声がかかる。少し暗めの店内。オールカウンター席。ガイドブックを読んでいる外人。ネクタイを緩めたビジネスマン。ケータイをいじっている男。この店にはなぜか男性が多い。おそらく女性はスープストックかメゾンカイザで足止めを食らうのだろう。食券を手に取り、釣銭を財布に入れ、カウンターに食券を差し出す。お好きな席にどうぞといわれ、角のほうに座る。
壁には出汁についてなにか書いてある。いつもぼんやりと眺めているから覚えていない。カメラを置いて、出された水を飲む。すぐに茶漬けが運ばれてくる。
冷ややっこと、煮物、そして漬物。上品な味付けで、素晴らしいという感動はないがおいしいことに変わりはない。どんぶりの上で三回半だし汁を回しかけて木のスプーンで口にはこぶ。ゆっくりと、でもだし汁がさめる前に食べきる。ご飯粒が一つか二つ、浮いている。だし汁をもう少しだけ加え、色々な食材の味がしみ出したそれを飲む。ゆっくりと飲む。おいしいと思う。旨味が。

15分か20分か。いつもそれだけのために出かける。温まったからだでどこへ行こうか考える。本屋、カメラ屋、それとも。
食事は日常であり、日常は食事とともにある。食事はほとんど意識の上に登らなくてもよい。ただ、何も感じさせないほどしっかりと生活に結び付いていればよい。だからいつも同じものを食べる。同じものばかり食べている。そういう意味で週末の茶漬けもすでに僕の日常となっているのだ。