頭の上から杭を打ち込まれるように突然憎悪がからだに流れ込んでくることがある。憎悪と言うべきか悲鳴と言うべきか、あるいは絶望なのか。
電車の中でまどろんでいた僕は一瞬にして目を覚まし、しかししばらく動けなかった。2001年のことだ。
その日僕は千葉の予備校に行く途中だった。冬がだいぶ近づいていてかなり傾いた太陽の光が、総武快速線の窓枠を照らしていたのを覚えている。千葉で降りるべきところを、微動だにできなかった僕はそのまま乗り過ごして、錦糸町まで行った。
おそらく911がきっかけになってはいたのだろう。しかしそれにしても、当事者ではない僕が持てる感覚以上の強烈な感情、刺激と言ったほうがよいかもしれない、がどこからわいてきたのか僕にはさっぱり分からなかった。わからなさ過ぎて僕はごく短い短編を書いたが、あまりにも強烈過ぎたせいかうまくまとまらなかった。

212 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/23(日) 05:24:44.22 id:kv3yaWMo でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、それがお互いの理解とか そういうのを邪魔するんだ。積もりに積もったものが、阻むんだ。 213 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/23(日) 05:26:41.84 id:kv3yaWMo 今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。

、ということを上の引用文章を読んで思い出した。まったく同じ意味の言葉がどこかから僕に降ってきたのだ。あれはなんだったのだろう、と年に一度くらいは思い出す。ぼくはたぶんどこまで行ってもあの言葉をきちんとした形にはできないだろうと思いながら、時々筆を執る。うまくいったことは一度もない。だから僕は忘れない。
多分僕は当事者ではないから、そのことばをそのまま書くことはできないだろう。これからも、ずっと。


ところでボスニア・ヘルツェゴビナの紛争に関しては、カティンの森の祭典の件でポーランド大統領が亡くなった時に、虐殺つながりでYoutubeにあがっていたボスニア虐殺のドキュメンタリーを見た。そのままルワンダの内戦にも飛び、ホテルルワンダも見た。僕はこれらに関してまだことばをもたない。