退屈な日課にミルクティが欠かせない

河原の階段に腰掛けてミルクティを飲む。いつもの。味がどうかなんてもう考えたこともないほど、いつも飲んでいる。でも違うミルクティはダメなのだ。まずいのだ。それがおいしいかと聞かれるとわからないんだけれども。
河原には弱い風が吹いている。強い日差しの中で汗を拭く。日陰を探してもよかったのだけれど、なぜか日向に腰掛けたくなった時点でもう正常な判断ができていないのだと笑う。眩しさに目を細める。夏草がきらきらと傾いてきた日差しを受けて光っている。くっきりとアスファルトに自分自身の影が浮かび上がる。僕は、ストローをくわえて胡坐をかく。
目の前を小学生の軍団が走っていく。野球少年たち。みんな同じユニフォームを着て、どことなくぎこちない、やたら大げさな体の動かし方をする。子供たち。おおきなこども、ちいさなこども。どうやって、その手や足を制御しているのか不思議にも思えるような小さな子供。眼前を通り過ぎていく白いユニフォーム、脚、足、あし。僕はまた汗をぬぐう。毎週毎週繰り返される光景のなかに僕も紛れ込んでいる。僕にとって河原で遅すぎる昼食をとるのが休日の最後の日の日課なのだ。寒い冬の日に白い息を吐きながら、暑い夏の日差しの中で汗をぬぐいながら、粉糠雨の中で雨宿りしながら、勢いよく芽吹く欅の下で、あるいは金色に染まる銀杏の木の下で。僕はひとりで、その静けさをかみしめる。日常が毎週繰り返される幸せをかみしめる。
僕は環境を変えるのが嫌いだ。習慣を変えるのが嫌だ。だからこうやって、用がなくても意味がなくても、繰り返すことのできる習慣が誰からも邪魔されないことに幸せを覚える。長い梅雨が明けてやってきた夏の中で、久しぶりにぼくが失いたくない習慣を繰り返すことができた喜びで、僕はストローを噛んだ。