僕は黙ってキーボードを叩いている。どこかから耳慣れた声が聞こえる。いつものように不機嫌で、いつものようにとがっていて、いつものように朗らかで、いつものように笑っている声を背中越しに聞きながら僕は安心する。日常が変わらずそこにあり、声の主が元気で、生きていることに安心する。僕は黙ってキーボードをたたく。
言葉を一言も発さない日がある。誰ともしゃべらずに一日を終える日がある。でも僕はそれに慣れているから、ちっとも困らないし、つらいとも思わない。僕にとっては何もしゃべらない日をすごすことのほうが日常なのだ。でも誰かとの会話や、くだらない言葉の応酬はビタミンみたいなもので欠乏すると心が脚気になってしまう。僕は時々得体のしれない孤独感と、自分の存在の不確かさに怯えて他愛のない言葉を求めたりする。情報収集のためでなく、誰かの文章を読んだり、Twitterのタイムラインを眺めたりして、僕は欠乏した言葉を補う。くだらない話をして、人をからかったりして、自分の存在を確かめる。そこに言葉あり、反応があり、笑いがあり、時にはいらだちや怒りや憎しみがあるから、僕は自分がほんとうに存在していることを確かめられる。誰も僕に気づいていないんじゃないかという恐れを胸の奥の方にしまいこむことができる。わらえるから、わらえるから大丈夫。そうつぶやいて、ぼくはまた沈黙の中に戻っていく。