ぼんやりと中吊り広告を仰いでいるうちに、電車は最寄り駅に着く。暗く沈んだまちのなかにあかい光がぽつぽつとうきあがっている。黒々とそびえたつクレーンや、新しいランドマークタワー、あるいは焼却処理場の煙突、飛行機、送電線を支える鉄塔。闇をひっかけてそれらがそびえたっているのを僕は目で追いかける。橋梁にさしかかると、武骨な鉄柱が僕の視界を遮る。黒い川がまちを分かつように横たわっている。冷房の利いた車内の音は、イヤホンから流れてくる音楽にかき消されて聞こえない。僕の黒目の部分は透き通ってまちと同一化している。


当たり前のように行き、帰ってくる日常の中で、時々僕は分からなくなる。僕は笑い、楽しみ、怒り、腹を立て、悲しみ、そして憂い、毎日を過ごしているのに、時々行き帰りの電車の中で、わからなくなる。自分の境界線があいまいになり、何を目指して何を求めて轟音を立てる電車に乗っていたのか、わからなくなる。点滅するあかい光にあわせて瞬きをして、僕はつぶやく。


疲れてるみたいだ。


家に帰ればシンクには汚れた食器が重なり合っている。まだ生ぬるい水に手を濡らしながら僕はぼんやりとそれを眺める。スポンジを持ち、泡立て、そして洗うだけだと頭でわかっていても、手がなかなか動こうとしないのはきっと疲れているからなんだろう。シンクに散る水音が軽く、耳の中に響いてくる。窓の向こうから聞きなれた轟音が聞こえてきて、僕は目を閉じると電車に乗っているのか部屋に乗っているのか、定かではなくなる。わからないままどこへ運ばれていくのか、僕は考える。その先は明るいだろうか。暗いだろうか。あの闇が世界を包んでいるだろうか。それでも光は差すだろうか。闇の中を突き進んでいくあの電車のように、窓から明かりを照らしながら進むのだろうか。