カフェの紅茶

お金貯めて一括で払えるようになるまで我慢すると言った僕を彼はとがめるような目つきでみた。斧田さんっていつもそうだよね、という言葉に非難の色を感じても僕は黙って笑う。こうなんていうか思いつきでぱーっと使ったりしないの?と彼は問う。
僕はしないねぇと答える。その瞳の中にある色に全く気付かないような涼しい顔でミルクティを口に運ぶ。僕は喫茶店でコーヒーを飲まない。僕には苦すぎるからだ。彼はそのことも少しいやそうにする。僕は気付かなかったふりをする。
だって怖いじゃん、明日いきなり病気になったらどうする?今日帰りがけに事故にあって入院することになったら?もしくはとんでもないことに巻き込まれて急に大金が入用になったらどうする?そのたびに冷や汗をかくのは嫌なんだ。
そんなことそうそうおこるわけないじゃんか、と彼は怒ったように言う。僕はその顔から眼をそらす。
別に、と彼は言葉を付け足しかけて汗をかいたグラスを指でなぞって、忙しそうに紙ナプキンでぬぐった。
別に、お金貯めてからかうのって確かに正しいことっていうか間違っちゃないけど、なんていうかこうどうしてもほしい!とかそういう感覚ってあるじゃん、今使いたい、みたいなさ。
僕は口角を一定の位置に保ったまま彼の顔を見なくて済むように視線を伏せて、マグカップを掌で覆う。湯気が、掌の内側をなぞる。
先にものだけ手に入れてあとでゆっくり払っていくのだって別に間違っちゃないし、そっちの方が、人間らしい。
僕はちょっと笑う。別に衝動買いしたりローンでもの買ったりするのがだめだなんて言ってないじゃん、ただ私はしないってだけ。ローンで買うのは好きじゃないの。
彼は絶句して、口をへの字に結んだ。僕は彼の暴言には気付かなかったふりをして、掌を少しずらして湯気を逃がしてやる。掌の内側が湿っている。

その顔に書いてある非難を一字一句僕は拾い上げることができる。その言葉をすべて誰かから言われたことがあるから、彼が何を思っているのか僕は分かってしまう。そのお金を稼ぐことができ、貯める余裕があり、計画性を持って欲求を抑制することができる人ばかりではない、と言うことを彼らは言う。僕もそうだろうと思う。恵まれているといえばそうなのだろう。でも、と僕は思う。定期的な支出が千円とか五千円とか一万円とか増えた時に、それが原因で生活が回らなくなる恐怖をあなたは知らない。自分が自由に使える収入がほんの少し減っただけで困窮する生活を、その収入すらも保障されていないことも、それゆえに実際の生活以上に精神が追いつめられることを、実感をもって知っているわけではないのにあなたたちは私を恵まれていると言う。そんなことができる人ばかりじゃないと言う。僕はその一定ライン以上の生活しか想像できない貧困な思考力をいやだと思う。計画を立ててその通り実行することを人間らしくないとまでいう、偏狭な価値観をいやだと思う。

あなたにとって喫茶店ではコーヒーを頼むものだという思い込みがあってそうでない人を不愉快そうにみるように、ほしいものがあったら何もかも忘れてそれを手に入れずにはすまない情熱を持たない人は人間ではないんだね、と心の中で呟いて、僕はただにっこりと笑う。口に出してもしょうがないことを僕はたくさん知っている。あなたと僕は分かりあえない。でも僕はそれを口に出さないから溝は深まるばかりだ。