あの人ちょういい人ですよ、お菓子くれたし、と僕が言うと彼は大げさにおかしぃ?と言った。僕は彼のことを知らない。内線でかかってくる電話で彼と話すことと言えば、彼が取り次いでほしい相手がいるかいないか、いなかったらいつ頃帰ってくるのか、たった今帰っちゃったんです、それくらいだ。僕は彼のことを知らない。顔だって今日初めて見たばかりだ。
僕をその場に連れてきた張本人は呆れかえってうちの娘みたいだ、と言った。僕はむっとする。
お菓子好きなの、と彼は苦笑いしながら言う。違うんですよ、と片手で次のお酒を頼みながら僕は答える。引越しのあいさつに来た時にくれたんですよ、引っ越しのあいさつでお菓子って。お菓子って。いい人すぎる。おいしかったし。子供か、と彼は笑い僕は空になったグラスの淵を人差し指でなでる。僕は彼を知らない。だから、どういう顔をすればよいのかよくわからなくて横目でその表情を確認する。僕のよく見知った人は確かにそれは珍しい、どの人だっけ、あのあそこの部署に入ったひと?と言い、僕はうなずく。どんな人だっけ、と彼は言う。きれいなひと?
やってきたグラスを受け取って僕は言う。きれいじゃない女の人なんていません。僕はその顔に浮かぶ表情が読めない。彼は困惑した顔で僕の表情が読めないという顔をしているから僕は知らん顔でグラスの淵をまた人差し指でなでる。
二人の間の微妙な空気に気づかずに、どんな人だったっけなー最近人の顔おぼられねーんだよなー、とひとりごちる人が面白くて僕は笑う。
知らないものは難しい。慣れないものは怖い。