時々、無性に本が恋しくなる。


 最近の僕は読書をしない。一年に五冊も読まないだろう。読書の習慣は僕の生活から遠く離れてしまっている。
 でも、時々無性に本が読みたくなる。誰かの綴った文字が恋しくなる。ごくごく自然な衝動として、僕は誰かに触れたいのだろう。その手段が、僕には文字なのだった。
 友人は僕のことを、孤独だという。それはきっと、たぶん、僕が文字にしかうまく反応ができないからだろう。言葉が孤独に染みこんで肌に馴染むまでには少し時間がかかるから。

私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、ほんの少しましな思想だと思う。

キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)

 吉本ばななはとりたてて好きな作家ではない。
 僕が最初にキッチンを読んだのは、たしか小学生の頃だっただろう。あの頃から僕はもう孤独を持て余していて、本の世界に逃避する以外に正気を保つすべを持っていなかった。キッチンは本棚の端っこにひっそりとあって、僕はその装丁をいつもながめてはどうやって手をつけてよいものやら悩んでいた。おとなの本に見えたからだ。学校の図書室にだって、吉本ばななの本は置いていない。
 二十年近く経ってまた、この本を読みたくなるとは思わなかった。当時もなんとなく僕はその「おとな」なかんじが気に入って図書館で何冊かかりてきたものだが、キッチン以上もしくは同程度に良いと思うものには出会えなかった。実を言うとキッチン自体も僕は好きではない。ふわふわしていて、本物っぽくない、そんな感じだ。でも、その後に収録されている「満月――キッチン2 」は別だ。
 「満月」は「キッチン」を読んでから読まねば意味が無い、と僕は思っている。あのフワフワとして甘い、砂糖菓子みたいな現実逃避を読んだあと、そのすべては消し去られ、現実が戻ってくる。それが「満月」だ。


 あの頃の僕は自分のことを孤独だと思っていた。誰とも分かり合えないと思っていた。子どもの、ひどく了見の狭い価値観で、誰も僕のことを見ていないし、この世界から消え去ってしまいたいと思っていた。誰にも姿を見られたくなかったし、希望は邪悪なものだと思っていた。
 そんな僕の中に「満月」という物語はすぽんとおさまり、僕に現実を受け入れさせたのだった。たぶんそうなのだろう。
 だからきっと、僕は時々、緑色の床の台所に寝転がっている夢をみるのだ。