日本人の女の子はバカでダメだね、と彼は言った。ニコニコして、うんうん、それで? しか言わない。だから僕がいっぱい喋る。でも、日本人を見てもだれが頭が良くて、だれがそうじゃないのか、あんまりわからない。英語で話せるひとは少ないし、その少ない人の中で面白い話が出来る人はもっと少ない。そんなふうに拙い日本語で言う。時折英単語がまじり、僕はそれを適切な訳語に当てはめ、それから昔ブログで書いたような話をする。英単語混じりの日本語で、できるだけ平易な語彙をえらび、話す。僕が何度も腹を立て、通り過ぎるほかなかった道の話をする。でもたいてい彼らはそんなことには興味がない。たぶん、彼らが言いたいのは、好みの女の子に出会えないという愚痴であって、なぜ会えないのかという分析ではないからだ。
たとえば私は、あなたのする日本の現在の政治の話を聞きたいとは思わない。あなたのする、東欧の歴史については興味がある。あなたはあまり興味を持たない、写真のはなしは大好きだ。ただで違法動画が手に入るよ、どうしてTorrentしないのという話には曖昧に微笑むしかない。僕は曲がりなりにもエンジニアで、違法動画のやり取りのためではなく、情報の共有のためにファイル共有ソフトを利用する。僕にはぼくの倫理がある。それはエンジニアの文化でもある。また僕は幾らかの創作をし、作品を制作し、著作権を所有している。それを守るためにファイル共有ソフト著作権のある作品をやりとりしたりはしないのだ。それはその世界の倫理であり、文化である。たとえば女の子がにこにこして、あまり頭のいい話をしてはいけないように、ある文化の文脈の中で僕たちは生きているのだ。人は幾つもの文化の中で分断され、そこで苦しんだり、楽をしたり、あるいは思考停止をして、時に無意識に行動を決定している。違う文化がぶつかる時、僕は「文化が違う」と表現するほかなく、そしてその違いを尊重することで争いを回避する。彼は無邪気にいくつもそれを踏み越えてくる。なぜ、と問いかけることなく踏み込んでくる。
僕は日本語が下手だからと彼は言う。だから、赤ちゃんみたいな扱いをされる。だからとても腹が立つよ。僕はそうだねと答える。この赤ん坊はプライドが高いし要求が多い。知識の運用もできるし、先の見通しも立てられる。だから我慢ならないんだよね、そういう扱いは。彼はそうそう、と頷きながら笑う。僕も笑いながら、声に出さずにひっそりと思う。そのうえ、違う文化様式が身についていて、無意識に人を怒らせるしね。ほんとうにやっかいだ。