あきらめない

手が震えるほどの怒りを覚えることが少なくなったと思う。それでも時々は、ある。
朝、メールのチェックをしている時に僕はそれを見つけた。メール本文を見る前から、これは見てはいけないものかもしれないという警戒心があったので、幾分かショックは少なかった。それでも僕は一瞬、音を忘れ、光を忘れ、周囲に誰かがいることを忘れた。画面の中で液晶のセルがてらてらと光っている。そばを走る首都高由来の振動だけが僕に届く。メールの文面は忘年会のことだ。その中の一文に、えらいひとの隣にすわって相手をしろと書いてある。僕にしろと命令している。


しばらく、僕は気持ちを抑えるために目頭に指を当てじっとしていた。怒りは時々動作をちぐはぐにする。ここが会社であるとかろうじて覚えていた僕は、あまりちぐはぐな動きをしているとまずいととっさに思ったのだった。
六年もおなじ会社にいれば、どう振る舞うべきかはわかる。十年、いやそれ以上男ばかりの社会の中で生きていれば、どんな言い分が無条件に嫌われるのかはわかる。特に男女が関係すること、それは口に出してはいけない。カメラに関することなら、趣味に関することなら、率直に言っても大丈夫。僕はそんな風にして経験を積み上げる。


メールの主は「常習者」だ。僕が差出人を見ただけで警戒心を抱くに値することをすでに十二分にやらかしており、僕が彼を嫌っていることを少なくとも数人は知っている。知っている人の中には男性も含まれる。
僕が何かを言うまえから、あれってないよね、と彼らは言った。いやー、今どきあれはないよ。どうりで斧田さんが嫌がってると思った。あいつはセンスないよなぁ。僕の奥さんだったら怒るよ、影で。他の部署だったら総スカン……その言質ひとつひとつが積み重なり、僕は嫌だと本人に伝えてよいという確証を得たのだった。これはセクハラだと明確にする勇気を得たのだった。


上司をBCCに入れた上で抗議のメールをいれ、僕はトイレに行った。そして、僕に確証を与えてくれた人々も、やがて時が来れば僕を傷つけるかもしれないことを頭のなかから引っ張りだす。
妊娠をした先輩に退職することを勧める面談が行われていることを僕は知っている。若い管理職は不当であることをしっており、やりたくないと思っているけれど、それでもさらにその上の上司がしろといえば断れないこともある。たぶん、今の僕の上司はその時がきても面談はしないだろう。だがもしそうでなかったら? たぶんきっと、誰かわからない彼は嫌そうな顔をしながら言うだろう。子供は母親といたほうが幸せだと思うよ。特に三歳くらいまでは。


その時、僕は言えるだろうか。これは不当です、といえるだろうか。