クロアチア その4

え?その3は?と思うかもしれないが、その3の日はフィルムカメラオンリー日だったのでまだ写真ができていないのである。写真出来上がってきたらかきまーす。

というわけで今日。モンテネグロクルーズ船(その2で言ってたかっちょいい船)は次は火曜ということで今回は諦め、今日はバス乗り放題&ビーチ&War Photoに行った。


ウェディングフォト撮影がしょっちゅう行われているドゥブロヴニクであるがなんとドローンまで投入されている。
ちょうど別の撮影組が通りがかったのだが(ドローン使ってるのはヨーロッパのひとっぽかったが、通りかかったのはおそらく中国人)、通りかかった組の方のカメラマンが「新しいおもちゃを見られなくて残念だわ」とか行っててうけた。新郎も興味津々。そりゃドローンだもんな。
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とんだー!
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モデルよりまわりのギャラリーのほうが盛り上がっている。


ドゥブロヴニクは市内バスが約10路線あり、岬のホテルと旧市街地を結んでいる。1aだけは地元の人の足のようで遠く遠くへ行く(それも楽しい)が、到着した日に迎えに来てくれた人が6番バスがおすすめというのでそれと遥か彼方へ行く4番バスに乗車してみた。
バスは一日券が便利。ドゥブロヴニクカードにもついているが、バスにしか乗らないのならバス券だけ買ったほうがよいし、ドゥブロヴニクカードあんま役に立たない…。なぜか日本語情報だとSカードのことしか書いてないが、Sカードは多分一回使いきり。24時間のりたいならdnevna kartが必要。30クーナ。ピレ門のところには有人切符売り場があるので聞いてみよう。
6番バスは確かに急な山道を登ったり港のそばを走ったりして楽しかったが、ビーチのそばを通る四番バスで適当なところでおり、てくてく歩くと人気のないビーチへ降りる道が!
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水冷たかった。でもすっごく透明!

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帰り歩いているところで見つけた何かどうしようもない顔した人形。呼び込めるのかこれで…

その後旧市街地に戻りWar photo limitedへ。山の上で広告見かけていきたいと思ってたんだけどすっかり忘れてた。4時までだったので3時半ごろに滑りこみ、結局一時間くらいいました。すみません。でも特に急かされなかった。

(Untitled/Tarik Samarah - "Bosnian War 1992-1995")
www.warphotoltd.com

観覧料は40クーナ。展示情報はクリアファイルにはさんであり、言語を聞かれて渡される。なんと日本語がある。なぜ…まぁありがたいのだが。
展示はウクライナ、1991年のドゥブロヴニクの籠城戦、1991~1995年のボスニア紛争と1997~1999年のコソボ紛争があった。多分ドゥブロヴニクボスニアコソボ紛争は常設展で、ウクライナは企画展のような感じがする。もちろん年代的に常設展の方はフィルム写真が大多数、ウクライナはオールデジタルだ。

デジタルとフィルムでは表現方法が違う。ウクライナの方はほんと精神的に削られる感じがする。写真が強すぎるのだ。強調したい部分を必要以上に強調している写真が多いせいだろう。構図もコントラストもトリミングも、どこのシャドウを持ち上げてあとは潰すかとかも、全部あとから処理できるから、写真はどんどん強くなる。どんどん編集者の意思が乗る。デジタル写真は怖い。ばんばん気を当てられる。そういう写真のほうがジャーナリズムとしては王道なのかもしれないが、そこで潰されたものの中には本当に救われないなにかかもしくは誰かを救う何かが映っているかもしれない。僕はそれが見たいと思う。

写真を加工しはじめると、インパクトに慣れて中毒になる。もっと色鮮やかにもっとコントラストを高く、もっとシャープに、もっと主題を印象付けるように、もっと印象的な構図に、劇的に、グロテスクに写真を進化させてしまって隙がなくなる。撮影者・編集者の方向性が芸術作品やスポーツ・ネイチャーフォトに向いているのならいいのだが、それが物語の方へ向くと戦争写真に向かっていってしまうように思う。僕の場合あきらかに物語に興味があるタイプなので気をつけないといつの間にかふっとそっち側に行ってしまう気がして怖い。潰されて切り捨てられたノイズを忘れてしまいそうで怖い。僕はあくまでも文章を書くことのほうがメインで、それに付随するイメージを鮮明化し言語化するために写真を撮っていることを忘れてはいけないと思った。コダックカラーは美しかった。


さて肝心の写真展の内容のほうだが、詳しい説明を母国語で読むことができたのでより理解が深まった。ウクライナの紛争の経緯についてはある程度知っていた(スナイパーに無力化されていく蜂起軍をYoutubeでみれる時代だからね)が、コソボの頃はまだ子どもだったので事情をよく理解してなかったし、最近興味を持って調べて入るがやっぱりわからないことがあったりする。遠い国だなと思う。情報がぜんぜん届いてこない。ちなみにセルビア人がやってることと全く同じことをロシア人がウクライナでやっているので、21世紀になっても全然変わってないんだな(背景事情は色々違うが)。しかし直前まで警察隊だってジュラルミンシールドそりにして遊んでたのになんでこんなことになったんだか。誰なんだ、実弾打ち始めたやつ。もうそのあたりからしてきな臭いよな、これは。

ウクライナの写真を撮った写真家Guillaume Herbutの文章の最後、かつてロシアの特殊部隊にいてクメール・ルージュが虐殺を行う前まで指導を行った人の「不思議なことにみんな自国民を殺した。私は知性を重んじる」の言葉の意味がまだ消化できていない。

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今日は海と空が同じ色をしていた。