あの時、不思議なほどぴったりと心の中にはまりこんだと思ったのはやはり事実で、事実であるが故にそこががらんどうになってもなかなかそれを認めることができない。振り返れば、目がさめれば、明日になれば、夜が来れば――それは期待でしかなく、必ずや裏切られることがわかっているのにそれでも裏切られることすらも忘れているときがある。まだ、僕は歩きだしていないのだ。それがたとえ幻想であっても僕の見ている夢であっても、僕はまだ。


心はいつまでたっても思う通りには動いてくれない。
拒否されていることを確認するたびに心が軽くなって笑えるのに、あとでしくしくと痛む。
忙しさにかまけて忘れていくことを拒み続けている。
それでも、それでもやはり僕はいつか歩きだすだろうし、歩きださねばならないことを知っているから、心が諦めるのを待っている。その思いを手放すのを待っている。思い出を現実のように錯覚して抱え込んでいても、淀んだ水のようにいずれ腐っていくことを僕は知っているから、ただ待つしかないのだ。耐えきれなくなるまで、この思いが朽ち果てて腐り削げ落ちるまで。