大人になるとなぜだか自分の言う一言に責任を感じるものだけれども
子供のころを思い返してみればその一言に大した意味はなくて
ふうんそんなもんかが最大の賛辞と言うレベルだったはずなのだ
いろいろ経験してみてないものがみえるようになって
それから意味にやっと気づくことってたくさんあって
そうするうちに自分の言葉に重みがあるように勘違いし始める
でもその勘違いってたぶんとても大事で
そういう勘違いをするから大人は子供に手を差し伸べるんだろう
こどもはちっともわかっちゃないが
その言葉は「いま」に効くわけじゃないが
「未来」で救いになる やもしれない
語るのはいつか気づいたときに感謝されるためのエゴかもしれないし
あるいは純粋にただ言わずにはおれないだけの気持ちかもしれないし
でもきっとそれは「未来」にたどりついたときには違うかたちやいろに変わって
誰かの大切な宝物になるんだろう