人の発表のレビューをしたり、本番を聞いたりしながら思い出していた。卒論の時の指導教官*1に言われたこと。
「聞く人は頭の中に地図を持っていない。手元にもまだ地図はない。どこへ行くか、どこへ連れて行かれるかもわからない。だから、発表者がはっきりとその地図を把握して、意図をもってそれを見せないと、聞く人には伝わらないし、わからないという記憶だけが残る。ストーリーを作るということはそういうことだ。どんなに自分の中で理解できていても、地図をつぶさに説明しても、聞く人が頭の中で地図を描けなければ、その発表は失敗している。相手の頭の中に地図は作られない。聞く人が自分でその道筋をたどろうとしたとき、もしかするとたどろうとすら思わないかもしれないけれども、頼りになる地図が伝授されていないから結局あきらめてしまう。目的地にどんな面白いものがあっても。
大事なのは、
聞く人の頭の中に地図ができるように上のほうから全体図を大雑把に見せてやるということ。
ところどころ下のほうへ潜ってみて細かなところを見せ、面白さを感じてもらうということ。でもそれはスパイス程度であって、全体の流れを止めてはいけない。
目的地には必ず面白いものがあると伝えること。
どんなにすばらしくても、面白いものでも、人に伝えられなければそれはないのと同じだ。文章は適当でもいい。読もうと思う時点でおもしろさが分かっている人だから。でも発表は読むほどの意気込みがない人も聞いている。その人たちに伝えることができるかどうか、がとても大切」

まぁ大雑把に言うとそんな感じだったわけだ。


昨日上司の社内発表の練習に付き合うはめになった。通しで聞いて頭を抱えた。僕の説明というのもたいがいなところはあるけれども、何日か掛けて作った発表の資料の割に基本的な「相手にわからせる」ということが欠如していた。もらった資料は真っ黒になった。上司とは年がそれほど離れていない分言いたいことは割といえる。プライドはそれなりにはあるようだが、納得できることであれば素直に聞く人だ。顔色を見ながら、言葉を選びながらレビューをした。
前々から思っていたのだが上司の話がわかりにくい理由*2はいくつかあって、

  1. 自分のわかっていることは省きがち
  2. 結論だけをしゃべる
  3. 結論と直接的に結びつく事柄についてのみ説明する
  4. 小さなところから大きなところへ向って話を積み上げていく

僕も割と結論だけしゃべったり、きっとみんなわかってるだろうと思って自分のわかるところは省いてしまうところがあるので1,2についてはわからないでもないし、よく聞けばそれなりの理由があるらしい(それが最適かどうかは別だが)ことはわかるのだけれども、3,4で致命的に説明下手になっている印象を受ける。さらに発表資料にはいくらかのテクニックや気遣いが必要になるのだが、それらについてもほとんどなかった。彼は自分がわかるようにしゃべれば、他人もみんなわかると信じている。前から僕がそう形容しているように、「彼には他人がいない」のだ、と思った。認識や前提や話している階層が違うことに注意を払わずに相手が間違っていると簡単に口にする*3のもそういう性質のせいだろう。

今日の発表は終盤息切れしたが、しかしレビューの結果はそれなりに反映されていた。彼はテクニックやパターン化もしくはフォーマット、前例があればそれなりに作ることのできる人だ。それを反映させる早さというのは確かに能力なのかもしれない。後ろのほうからいつもより人数の多い参加者を眺めながら、年配の人たちが何か難しい話だなぁと小声で言っているのを聞きながら、色々と考えていた。僕はもう一度聞いてしまったから正確な判断は下せない。それはわかりやすかったのかわかりにくかったのか。

*1:ということは院の時の指導教官も近いことは考えているんだろうな

*2:元上司や部長さんともこの認識は共有している

*3:断罪をしているつもりは本人はない