僕はカタカナを読めない、ということはどこかで書いたと思う。カタカナはほぼ判別がつかないが、アルファベットもあまり判別は付いていない。そういう僕にとって英語の文章を精読するのはひどく骨が折れるし、スペルを間違わないようにすることは至難の技に近い。そもそも日本語にしても誤字脱字が一切ない文章というのをぼくは書けない。日常に支障がないのは慣れと、だいたいこんな感じだという風に手が覚えているからだ。キーボードでアルファベットは打ちやすいようにできている。だいたい指が自然に楽に動くのに任せていれば、あまりスペルミスはしないし、たとえもし間違えたとしてもパソコンが間違えてるよと言ってくれるから僕は助かっている。

仕事で、カタカナを読むような類の細かさを要求されることがある。僕は、間違うのがわかっているので、あれやこれやと策を講じる。その中で、僕だけでなくほかの人も間違える可能性の高い作業については手順書を作ったり枠組みを作ったりするようにしているが、上司はしばしばそれを無駄だと切り捨てる。そんな間違いをする人はいない、と彼は言う。僕はそうだろうかと反論する。でも。あなたもこの間間違えましたよね。ここがなくて不便だって言ってましたよね。これだと代替手段になりますよね。なぜだめなんですか。彼は拒否するのは二つくらいしか理由がない。一つ目は面倒だから。二つ目は前例がないから。
そりゃそうだろうと僕は思う。今までやってなかった作業に一つ加わればそれは面倒だろう。各個人が気をつけてやるように、という了解でできる人は自分が間違いそうなところだけ気をつけていれば間違いは防げるだろう。でもそのできる人のレベルがかなり高いものであって、普通の人やその作業が苦手な人がいたら、そもそも作業自体に時間がかかるし、修正にはもっと手間がかかる。僕だけが間違えるようなものであれば、僕は個人的にツールを作ったりなどして対処するから別にかまわない。だけれども、もっと多くの人がかかわって、その確認作業のほうが実質の作業よりも時間がかかるのなら、なぜツールを導入することを検討しないのだろうと僕は不思議に思う。できないなら努力してください。で、できるようになったら苦労はしないのだ。どのだれがその作業をしてもある一定の水準を満たせるようになるために、努力はあまりにもぜい弱で何の支えにもならないことを僕はよく知っている。何故なら僕は二十数年カタカナから始まり文字をきちんと読もうとしてきたけれど全然改善しなかったからだ。それでもそれなりに大学に入り大学院を卒業している。やり方さえどうにかすればどうにかなるのだ。そこに努力は必ずしも必要ではないと僕は思う。実際に僕と同じように考える人はそれなりにいるはずで、だからPCには校正機能や補完機能があるのではないのか。リファクタリングツールや自動化するツールがあるのではないのか。できる人だってそれを使って便利にやって、手放せなくなって、さらに生産性をあげているじゃないか。と僕は思う。

でもたとえそれに彼が納得したとしても次に前例がないから、という理由が残る。確かにそれはそうなのだが、問題よりも前例を重視して、明らかに改善できる問題を放置する理由が僕にはわからない。個人でやってうまくいけばグループに展開し、グループでやってうまくいけば部署全体に展開するのがうちの部署のやり方で、同じようなことを考えているグループはほかにあることを僕は知っている。あ、それやろうとしたんですよ、でもだめだって言われた…とほかのグループの人に言うたびにまぁまぁそのうち部署全体に展開してやるからと慰められる。僕がなぜかと上司と言い合っているとだいたい部長さんがにやにやしている。そしてあとで別の機会の時に、一人でやってる分には何でも構わないけど、人数が増えてくるとそれだけ手間が増えるんだから努力しろって言ってるだけじゃだめだよとのらりくらりと言う。

結局のところ、前例がないからというのは彼が余計なことをするなと言われたくがないためで、もしくは面倒な作業と改善を積み重ねるのが嫌なだけなのだろう。彼はあまり間違わないし、だからめんどくなことを増やしてそれに時間を取られるのがいやなのだ。それはわかる、だけど、と僕は思う。できる人の百パーセントの出力に合わせていなければできないやつだなんてそんな余裕のない状態ははたして正常なのかと。そんなどうでもいい、どうでもよくはないが、ことに注意や集中力を使い果たして、もっと重大なことを見落とすよりは、できるだけ単純作業や確認作業は楽にすべきだ、リソースは最もリソースをかけるべきところに割いてそれ以外にはできるだけ分散させないようにすべきだと僕は思っている。でもそれは通じないのだ。僕が間違っているんだろうか。やり方がおかしいんだろうかと時々悲しくなる。だけど、僕が悲しくなったり上司が拒否したところで、僕が細かい作業を間違えずにやり遂げることは無理なわけで、どうにかするしかないのだ。僕一人でも。たったひとりでもずっと試して、改善していくしかないのだ。僕はできないから。そのことを知っているから。だからやるしかないのだ。努力なんてくそくらえだ。