また吃音がひどくなっていたし、眠れない日が二週間以上も続いていたので気力が底をついていた。簡単なことを言うにしても口から出てくる言葉はほとんど脈略がなく、長い文を書くと破綻している。それでも、まだおかしいとわかっているうちはましで、自分がおかしいということを知りそこから一生懸命正常に戻ろうとして僕は大量の文章を書いた。気付いたらほとんど食事をとっておらず、ひどい頭痛に視界がかすみ、全身の筋肉が凝り固まっている。ますます僕は眠れなくなり、思考が支離滅裂になり、そして吃音がひどくなる。ネガティブスパイラルという奴だ。
僕は昨日疲れていた。薬を投入して無理やり眠るようにしたので昨日はまだ状態が安定していてしゃべるのも少し楽だったし、気の合わない上司と最後の打ち合わせをして、有意義な結論を出すことができたという満足感があった。僕の作ったプロトタイプは来週あたり、誰かが客先に持っていって説明するだろうが、見えない状況とやりにくい環境の中ではできる限りのことはやったと思う。そして僕は新しい席へ移動し、雑務を片づけ、出ていく人の内輪の送別会に誘われて飲みに行った。騒がしい店内で見知った人たちと久しぶりにお酒を呑む。去っていく人とまた戻ってきた僕の入れ替わりでもあまりにも慣れ親しんでいるせいかぐだぐだとしていて居心地が良い。みんなよくわらい、適当に食べ、たくさん飲む。いつものように一つのことを説明するのに言葉を尽くすひとと、それに茶々を入れる人と、優しさを隠して僕に語りかける人がいる。僕は吃音も出ず、しゃべりながらあせることもなく、したがって支離滅裂なことを言って眉をひそめられることもなかった。心臓がばくばく鳴ったり、人知れず汗をかいたりすることもなく、まだ胃が弱い僕のために野菜を頼んでくれる人たちにありがとうございますと笑顔で言うことができた。

新しい仕事の話、変わっていく部署内の話、開発の話、関係ない与太話、いつものネタでからかわれ、さりげなく希望を伝える。この空気は僕にとって心地が良い。僕の足りない言葉も空気を通して伝わるし、誰かの話もなんとなく背後関係を含めてすっと染みこんでくる。そういう、負担のかからない空気を介したコミュニケーションは結局気が合うかどうかなのだろう。あえて頑張って読み取ろうとしてもわからないものはわからないのだ。あなたの言わんとすることが何かわからない、という二人がはなしをするのはひどく不幸でしかも労力がかかる。何を話しているのかを理解するところにエネルギーが必要で肝心の話をするときにはもう体力も気力もなくなってしまっている。自分を律し、話の道筋を考える力が失われてしまったら、僕はぐずぐずになってしまうのだ、と安心できる場所で僕は思った。僕はずっと、しんどかったのだ。気を抜くと話が通じなくなる上司、彼は決して悪い人ではないし、意にそまない状況にあっても明らかに不機嫌そうな顔を向けられても少し困るだけで怒ることもなく、ちょっと笑うのを困るような冗談を連発する、不器用な人だということを僕は知っているけれど、それでも彼と話すことは僕にとっては負担に他ならなかった。僕はそれに気付かないように巧妙に自分自身を欺き続けていたから、ゴールが見えた瞬間から体調を崩してしまったのだろう。