僕は泣き崩れることがない。きちんとドアを静かに閉め、鍵をかけて、部屋に入り、荷物を乱雑において、冷蔵庫に入れるべきものを入れてから、壁か布団にもたれてようやく声を押し殺してなき始めることができる。道すがら涙は溢れ出して止まらないのに、僕は無表情を装ってまっすぐに歩く。いつもはそんなことないのにぴっしりと背筋を伸ばして、できるだけ体を揺らさないように歩いてもそんな努力はまったくの無駄で涙は次から次へと溢れ出してくる。それがわかっているのに、ぼくはまるでなんでもない風を装って、偶然雨に振られたような顔をして家にたどり着くのだ。

そういう自分がぼくは好きではない。そういう意固地さがぼくは好きではない。そういう格好のつけ方がぼくは好きではない。何か間違えている。がんばるところを間違えている。でも、一人にならなければ体を丸めることはできないし、安心して声を上げてなくこともできない。それは健全ではない、とぼくは思うことがある。でも、涙を一粒も落とさないように注意深く足を運ぶぼくは滑稽で、そういうところを遠くのほうから観察してみるとおかしくて仕方がない。そのおかしさをぼくは遠くから見ることができるから、たとえ絶望を手にしていてもそこから滑り落ちることはないのだ。