僕は黙っている。黙っていれば嵐をやり過ごせることを知っているからだ。言葉をもらすと、嵐がしばらく停滞することもまた、知っている。ほんの一言であっても、それはあげ足をとられる隙になる。隙を見せたくないのなら、なにも見せないことだ。子供の頃からの知恵。ただ一方的に斬りつけてくる相手には燃料を与えてはならない。時が過ぎるのを待ち、自分自身が耐え切れる範囲をじりじりと広げていけば、僕は生き延びることができると知っている。傷は深く、決して癒えない。だが、黙っていさえすれば、その傷は抉り取られることはない。痛みに声をあげず、ただ静かに涙をこぼし、反論も同調もせず、そこにいるだけ。


その世界はひどく静かだ。

そしてとても孤独だ。

強引にはなりきれなかった。いつでも、すっと身を引いてしまう。そうすれば傷つかないことを知っているから。体の力を抜いた方が殴られても痛みが残らない。そういう癖がすっかり身についてしまって抜け出せなかった。ただ黙っていればそのうち終わる。そのうち終わる。あとに残るものは抵抗しない方が少ない。それでも心は渡さない。ただ黙って抵抗するだけ。

(中略)

たぶんそれは憎悪を越えた感情。どうにもできない感情。ふき出してくるそれを歯を食いしばってこらえるけれども、それでもあふれ出しそうになる。誰かを――いや、誰かではなく相手は決まっているが――殴ってやりたい気持ちがあふれ出す。ただ、その激しい勢いの感情があふれ出してくるのを感じた。うっかり動けば壊れてしまうような気さえした。恐怖も何も感じなかった。ただ義務感で自分自身を制しただけだった。そうすれば傷つかないから。頭の中で何度、その光景を繰り返したかしらない。眩暈がして吐き気を催す光景。僕は僕自身を見失わない。いつだってどこかでは冷静な目がとっくりとそれを見ている。それから、こっそり呟く。あれと同じになるくらいなら。そこで妄想は終わる。時々そうやって逃がしてやれば、普通になれる。普通になる。そう信じる。私は普通の人間で普通に成長してきてそうして。信じる。思い込む。だから泣いたりなんかしないんだ。


夏は暗く重いまますぎていった。眩しい光に目を細めても、暗い沼の底にいることにかわりはなかった。僕はただ力を抜いてたゆう水面を見上げていただけだ。力を抜けば、やり過ごせば、そのうち終わる。何もかも終わる。いずれは。そんな諦観の中でそれでも諦めきれずにもがき続ける。日々。変わらない。永遠に変わらない気がした。夢なんて、希望なんて、生まれたときから死んでいくまでもてないんだ。叶うわけなんかないんだ。


そして僕はおとなになり、自分の中だけで完結している一個の小さな人間になった。僕は傷つくことには慣れている。それでも時々耐えられないと思うことがあって、だがそれも何度か受け止めているうちに慣れてしまう。傷は癒えない。だが、無視をすることはできる。感覚を鈍磨させ、自分の檻に閉じこもり、気が利かない、冴えない人間になってやり過ごすことはできる。つまらない人間になり、なにも求めず、ただ黙って腰を落ち着け、自分の手の届く範囲にあることだけに注力する。僕はそこから外へ出ていかない。飼い慣らした心にため息を付いて、時々ちょっと笑うだけ。ほんのちょっと笑うだけだ。誰のためにも生きない。ただ息をしているだけ。他人のためになど、とんでもない。自分のためにすら生きられない。

ぬるま湯だと思っていたけど、孤独はきっとコンクリートなのだろう。もう二度と柔らかくなることはないのだ。


なんでこんな文章を書いてしまったりとかしたんだろう昔の俺

パンドラの箱の中に残ったのは希望だったが、それこそ最も邪悪なものだと私は思う。なぜ絶望の中に光をともすのか。それもいまにも消えそうな光をともすのか。その光が消えた後に残るのはのっぺりとした平面の闇だけで、また暗闇の中で目がきくようになるまでには長い時間がかかる。凶暴な光で無理やり隠してあるものをはぎ取り、白日の下に曝したあげく、容赦なく公正明大に事実を示して見せるその光こそが、最も手にしてはならないものだったのではないか。19歳の夏、私はそれをあけてしまったのだ。