Camera:Zenza Bronica Lens:Nikkor-P f2.8 75mm
僕は選択ができなかった。
これを買うと食べ物が買えない。あと十円高いものを選ぶと、明日のご飯がない。その思いはじりじりと僕を焦がし、僕はその焦げを必死で落としながらなんとか生きていた。そういう毎日だった。
いつもいく、いくつかの店をすべて回り、一番安いものを選ぶ。見る品目はだいたい両手に収まるくらいに決まっている。新しいものに手を出す時は少々勇気がいるから「青菜」と書いてあると少しだけ気が楽になる。青菜は青菜だ。ホウレンソウも小松菜もセリも、みんな青菜だ。ときどき「野菜」と書いてあるからなおいい。僕は選択をしない。一番安いものを手に取るだけでいい。
そうするうちに選択することが怖くなり、そして僕は選択することをやめた、従順な家畜になった。家畜は未来に期待しない。与えられたものを授かり、与えられなければ同じものを欲する。よりよいものがあるなどと考えることもなく、だから欲しがることもない。僕はそんなふうに貧困に飼いならされていったのだった。
多くの人が僕のことをまともでないと言った。優し人はけちだと言った。僕は選択ができなかった。ただそれだけだった。社会人になってしばらくの僕は混迷を極め、選択できる自由に恐怖をしたものだった。スーパーにいって一つの商品を手に取るのにかなり悩んだ。それでも食品はまだ「野菜」で訓練していたから少しましだ。「野菜」が色々な名前に変わり、緑だったり黄色だったり赤だったりした。それだけだった。困るのは洋服だった。
ある程度の懐の余裕――少なくとも僕が大丈夫だと思える程度の貯蓄ができて、ようやく僕はそれに取り組もうと決めた。洋服はもう何年もまともに選んでいなかった。いや、今まで選んだことがなかったのだ。実家にいた頃から、僕はなにかがほしいとは言えないこどもだった。言ってはいけないと思っていた。僕はなにも欲しがってはいけなかった。だから僕は選択しなかった。選択しなかったから、きらびやかなそこにはたちよらず、どうしても必要な時は安くて黒いものを選んだ。僕のできる選択は、誰の目にも触れないこと、それだけだった。
多くの無駄な買い物をしただろうと思う。ほとんど袖を通していない服はたくさんある。似合わないもしないのに、組み合わせを考えて買ってしまったものもある。とりあえず少し高めのものを選んで、あるいは安売りになったのを狙って、僕は「買う」ことを引け目に思わないようにということだけを考えていた。多くの選択をした。そのほとんどは失敗だった。引っ越してきた時、僕の服は段ボール二箱分だけだったが、今では四倍程度には膨れ上がっている。でも、最初にやってきた段ボール二箱分のそれはもうどれも残っていない。一つ、二つ残っているきりだ。僕は家畜であることをやめる代わりにそれを捨てた。捨て去らねばならないと思った。
多くの人が僕はまともではないと言った。僕もまともではないと思っていた。普通になりたい、と何度も願った。なれないと思っていた。
でも、僕は大人になった。自分で自分が選択するための環境を選び取ることができる、大人になった。そして僕は自分自身でまともになることを選んだ。選べるようになった。まず、最初に僕が僕を選択した。そうだったのだ、と今頃になって気付いた。そのために、僕は大人になったのだ、と。一つずつ、少しずつ大人になっていくのだと。