社会人になった年の五月、心もとない初任給で僕はフライパンを買った。それほど大きくない、一人用の食事を作るにはちょうどいい大きさのフライパン。3980円。なにかとものいりな社会人一年生にはそれでもわりと手痛い出費だった。

三月、会社にあてがわれた部屋に引っ越してきた時、僕の部屋には大量の粗大ゴミが届いた。脚の折れたこたつ、埃をかぶったポット、ガラスが割れている時計、傷がつき、ダボが錆びついている本棚、車輪の壊れたキャリーケース、一人暮らしには大きすぎる鍋が一口キッチンには不要なほどたくさん。そして、趣味ではない絵柄の皿、安っぽい引き出物のボウル、僕はそれを部屋の隅にしまいこんでしまった。カーテンのない部屋で、僕は電気をつけず、暗くなると早々に布団にもぐりこんで寝た。布団はこたつ布団だった。
そのあとも粗大ごみは届いた。粗大ごみは時々新品だった。僕は仕方なくほぼ義務感でそれをあけ、組み立て、それから解体して部屋の隅にしまい込んだ。部屋は次第に狭くなり、僕は相変わらずなにも買わなかった。
僕にはずっと部屋がなかった。自分の場所がなかった。帰るべき場所を持たなかった。
そして五月になって、僕はフライパンをかった。フライパンはIHコンロでは使えなかった。僕は泣いた。その時始めて泣いた。僕の部屋に詰まっている粗大ゴミを見上げ、泣いた。泣くしかなかった。僕の場所は相変わらずこの部屋の中にはなかった。
それからしばらくして、少し余裕のできた僕は冷蔵庫を買った。もうしばらくして新しい棚と、机を買った。その棚に粗大ゴミを詰め込み、僕はまた泣いた。部屋がようやく、僕の帰るべき場所になったことがうれしかった。


あれから三年がたった。僕は粛々と粗大ゴミを捨てる。もう粗大ゴミを送ってくる人はいない。彼らは僕がどこに行くのか、知らないから。教えなくてもいいだろう。彼らはごみを送ってくるだけだから。