先日、ようやく前住んでいた部屋の退去が完了した。もう鍵はない。だからあの部屋には入れない。僕はあの町の住人ではないのだ。
久々に降りた駅は思っていたよりはずっと今まで通りで、カメラを持っていたのにとりたてて撮りたいと思う景色はなかった。いつもいっていた好きなパン屋でパンを買い、朝通った道をのんびりと歩きながら部屋に行き、そして軽く床を拭いたあとベランダから空を見上げながらパンを食べた。広い空だった。眼前に電車が時々よぎっていき、空を飛行機が飛んでいる、三年間見ていた風景。
好きな街ではなかった。もともと越してくる前からあの辺りは治安が悪いところだというイメージがあって、好きになることを拒んでいた。街中に緑は少なく、四季の変化を殆ど実感することができないところも嫌いだった。でもそれでも太陽光の角度に時がゆっくりと流れていることはわかったし、物騒だとはいえ暮らしている間に何か凶悪事件に遭遇したわけでもない。ただ淡々とどんな場所に行っても日常は流れていくのだ。


部屋が狭く、コンロは一口しかなく、しかもユニットバスだったので越してきた時から早いうちに出ていきたいと思っていた。むしろ三年もよく住んだものだと思う。パンを食べながら僕は思った。僕がこの町に住むことができたのは、あの広い空と日差しのおかげだったのだろう。はじめはベランダで、それから川べりで、河川敷に出かけて、僕は毎週の休日の昼を食べた。ぼんやりと一時間も二時間も空を仰いでいるだけでよかった。その時間がなければ疲れが取れなかった。たった一人でぼんやりとする場所があの辺りにはたくさんあって、だから僕は三年間、あの町の住人になれたのだった。
その空を失ってまで、僕が他の街に生きたいと思った理由は去年の震災だ。一人でぼんやりする場所の中で一番気に入っていた場所は震災後立入禁止になり、未だに立入禁止のままだ。黄色い壁を前にする度に、その壁をすり抜けて立ち入り禁止区域に足を踏み込んで隆起し泥が吹き出し今もまだ水びたしになったままのその場所を目のあたりにするたびに、あの場所に住むことを拒否されているような気がした。壁はどこまでも強固になり、向こう側を伺い見ることしかできなくなって僕はついに諦めることにしたのだった。もう、あの場所は死んでしまったのだ。二度と戻っては来ない。
帰り道は、いつも夜にたどった道を逆さまに歩いた。撮りたいと思っていた景色を撮りながら帰った。それがさようならということなのだと、僕は思っている。もう二度とこの町には来ないだろう。それでもいつかは時々思い出すのだろう。


新しい街はまだ馴染めない。ぼんやりと空を仰ぐ場所を僕はまだ見つけられていない。それでもどこかにはその場所があるような気がしている。寒さがゆるみ花風がふく頃になれば、きっと見つけ出しているだろう。