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ねぇ、と彼女は無遠慮なまでに大きな声で言った。見て、あの子のカメラ、すごい。
多分彼女は隣にいる男性にだけにしかわからない言葉でしゃべっているつもりだったのだろう。この国では英語を理解する人は少ない。でも僕たちはどちらも彼女を振り返った。彼女がなにを言ったか理解し、ぼくはにっこりと笑った。彼女は一瞬表情を凍らせたが、ほとんど条件反射で唇を笑みの形に整える。たぶん僕達のことを中国人だと思ったのだろう。この国では僕たちは一見外国人ではない。
周りの人々が自分の言葉を理解していないと思うと、つい無遠慮になる。すぐ隣にいる誰かのことをまったく臆さずに口にするようになる。それは必ずしもくさしているわけではなく、時には賞賛している場合もあるが、しかしその「だれか」には伝わらないのだった。
僕が地図を読んでいる間に彼女たちはどこかへ立ち去ってしまったらしい。あっちですね、と僕がようやく口をひらくと、隣でぼんやりしていた彼はあぁ、と間抜けな声をあげ、あの人たち、カメラすごいって言ってたね、やっぱりすごいカメラなんだ、などと無邪気なことを言う。でもぼくの持っているカメラは、廉価な一眼レフの代表格であるアサヒペンタックスSP2、レンズは数千円で買ったSMC。単焦点の55mm、当時の標準レンズで、ありふれている。

http://d.hatena.ne.jp/Blue-Period/20131013/1381670801
遅ればせながら読んだ。

カメラの様々な設定に迷わされずに撮り続けるためには、一つのカメラ、一つのレンズに固執するのが良い。カメラは、あなたの想像力の拡張機にとどまらず、あなたの身体の一部となり、視覚の一部となる。決して別々の道具ではないのだ。
あなたがカメラのことを考えているとき、あなたは写真のことを考えていない。
あなたが写真のことを考えていないとき、写真は最低の出来になる。
シンプルなカメラはあなたにカメラのことでなく、写真のことを考えさせる。
カメラがあなたに奉仕すべきである。あなたがカメラの奴隷、写畜になってはいけない。
カメラはあなたの感性の外側にあり、撮ろうとする写真とは無関係でなければならない。あなたの想像するイメージは被写体から沸いて出てこなくてはならない。そのイメージにカメラが影響を及ぼすようならば、それはやめなければいけない。
あなたの撮影からカメラを遠ざけるには、シンプルなカメラを使うしかない。


今回持っていった機材は慣れ親しんだSP2と、SP2と相性のいいSMC 55mm、パリに持っていったのも同じ機材だ。本当はそれだけでもよかったが、長い付き合いの魚眼も持っていった。魚眼は使うシチュエーションがひどく限定的だから、どうしても使いたい時だけ出せばいい。使用するのはほとんど55mmだけだ。
でも今回の旅は一人ではない。会社の仕事で行く以上、付き合いがある。ぼくが写真を撮る、撮りたいということを端的に理解してもらうためにはデジタルカメラが必要だ。デジカメで撮ってすぐにそれを見せる。そうすれば、彼らは足を止める理由を理解できる。突然ぼくが何かに気を取られることにむっとしない。それでぼくはX-M1を買った。慣れない機材なので、保険のためにズームレンズも持っていったが、あまり使わなかった。SMCが良いレンズだからだ。
SP2とSMCは相性がいい。特に55mmなら、ファインダーをのぞくとほとんど目で見るのと同じ景色が見える。だから撮るべきものを見つけ、構えれば、もうシャッターは押せる。X-M1は少しむずかしい。ファインダーのないデジタルカメラはAFがなければ可用性が半分さがる。ピントを合わせる作業が辛いのだ。でも、じんわりと世界がにじみ、輪郭を取り戻すとき、ぼくは自分がなにを撮りたかったのか、なぜそこで構えたのかもどかしい思いをしつつも再確認する。そしてそれが良い画になることを確信して、シャッターを押すのである。

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今回の旅の直前に、ぼくはSP2を新調した。落とした衝撃で古いSP2のフィルム巻き上げクランクがとれてしまったからである。チャージバッグがあればフィルム交換はできるが、その手間を考えるのは煩わしい。よいタイミングだった。そしてやっぱりSP2が好きだと思った。露出計が壊れていればなおいいかもしれない。直感に頼り、カメラの言うことを聞かずに撮りたい。

知恩院
もちろんデジタルでも良い写真は撮れる。でもぼくは今でもまだ、写真を始めたばかりの頃、それもトイカメラで撮った写真を忘れられない。なにが映るかわからない、どう映るかもわからない。決して画質はよくない。それでも、撮っているとき、ぼくはわくわくする。

http://www.vivianmaier.com/
Vivian Maierという写真家がいた。Rolleiflexで写真を撮り、それを現像せずに溜め込んでいた無名の人だったが、近年そのフィルムが現像され一躍脚光を浴びることになった。彼女は自分の作品をひとつも見ていない。しかもRolleiflexはレンズを替えられるカメラではないから、ただひたすらいくつかのセッティングでなにかを撮り続けたことになる。
究極的にはそれでいいのだとぼくも思う。撮ったらもうそのことは忘れてしまっていいのだ。覚えてなくたっていい。だってもう記録をしたんだから。たぶん、撮るその瞬間に胸をときめかせていられたら、きっと幸せなんだろう。


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コーラを飲むのをやめ、慌ててカメラを手にしたぼくを彼は不思議そうに見た。ぼくが何枚か撮り終えて満足していると彼は言う。なに撮ったの? 見せて。ぼくは大人しくモニタを見せ、それから、ちょうどそこにスポットライトみたいに光が落ちてきてるんですよ。天井に三角形の窓がある。彼は上を見て、下を見て、何度もここに来たことあるけど、初めて窓があるのに気づいたよ、本当によく見てるなぁとまた無邪気に言った。