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何が過保護かとか過干渉かとかそういうのはたぶんどうでもよくて、正解や最短距離や、みんなと一緒を求めるからゆがむんじゃないのかなと思ったりする。あるいは自分の感情を優先にして、それを基準にしてものごとをすすめるから歪んでくる。一個人一個人の世界の中心はその人自身であって、その基準は自分自身であって、そこに常識や規範があってうまくやり過ごしていくことが必要なのだから、「みんな」や「だれか」の感情やなんとなくを基準にしたら何もわからなくなる。歪んでいくしかない。ねぇそういうものじゃないの。誰を見ているの。どこを見ているの。子どもを、その子自身を見て、よく見て、理解して、わかろうとして、そして手を差し伸べ、背中を支え、ともに焦り怒り笑い、悲しみ、時に慰め叱り、そうやって生きていくんじゃないの。僕らがそうやって大人になってからも生きているように、子供にそのやり方を教えることが育てるということじゃないの。教育じゃないの。教育で教えられるのは、概念と道具であって正解や絶対確実な方法論ではないんだ。だから難しく考えることもないし、間違えるってこともないし、完璧も同時にないんだ。ねぇ、そうじゃないの。