誰かをひどい人にしたてるストーリーを描くことも簡単にできる。それくらい憎んでも構わないのだろうか。もう会うこともないのならば。それとも。時々考えたりする。その時々に応じて枝葉末節は変える。でもたぶん事実は単純に、どうしようもなくて、身動きがとれなくて、投げ捨てるしかなかったということなのだろうとわかっている。事実が、救いとなるわけではない。嘘が、すべてを受け入れるわけでもない。その感情を掬いあげる嘘もある、辛さを先延ばしにする真実もある、それだけのことなのだ。

でも本当は忘れていけたら、と思っている。忘れていけたら、すべて忘れて新しく出会った人を信じて、心の底から信じていければ。それでいいんじゃないかと。思うときもある。出会った人を好きになり、信頼し、欠点も認め、尊敬し、仕方がないと笑ったりさすがだと感嘆したりそうやって生きていければ幸せなのではないか。隣に誰もいなくても、その感情が自分に向けられなくても、私は私で幸せにやっていけるのではないか。その方がよいのではないか。憎まれ口をたたきながら調子のいいことを言いながら、生きていければ。


私はあなたの心が純粋であることを信じている。
私はあなたの心が優しいことを信じている。
私はあなたが虚栄心を持ち、誰かの上に立ちたいという気持ちを持っていることを知っていてそれでもその思いがあるからこそあなたがあなたとして責任を持ち、公正にふるまい、仲間に親しみを込めて話しかけることを知っている。
たくさんのあなた。
その一人一人に同じ言葉を違う意味で語りかける。私はあなたを信じている、と。
どうか幸せになってください。