さみしさのログ

僕は布団に持たれてキーボードを叩いていた。他愛のない話、延々と続く会話がウィンドウの中でスクロールされていく。今となってはその内容を思い出すこともできないような些細なくだらない、そういう会話。その記憶はどこかの記憶領域の中にひっそりとビットパターンになって残っているに違いないけれども、僕はその場所を思い出せずにいる。
前のめりでウィンドウにかじりついて、返事があればすぐに返して、でもそんなに早くはレスポンスはなくて、僕はいつもさみしさの中に取り残される羽目になる。距離が近いほど、レスポンスが早いほど、その手段が簡単で障壁が低いほど、何もかえってこないときのさみしさは驚くほど大きくなって僕の心を飲みこんでしまう。僕はたいていそういう自分を笑って意図的に返事をするのを遅らせたり、何も言わずにトイレに立ったりなどした。ぼくはさみしがってほしかったのだ。レスポンスの感覚が僕のそれより相手のそれの方が短ければ僕は安心した。そうでなければ僕は気が狂いそうなほどの孤独にさいなまれた。
僕はその温度を共有したかったのだ。でも傾き始めたシーソーは安定点に戻ることはなく、どちらか一端だけが地面に着くまで降りてゆくしかない。僕のさみしさの方がずっとずうっと巨大であることを僕は知っていた。だから僕はさみしかった。求めるほど、僕はさみしくなる。さみしさを自覚するほど、僕に向けられていない言葉を悪意にとらえるようになる。エゴだとわかっていても、僕は時々叫びたくなる。こっちだけ見て、ほかのものは何も見ないで。わかっているから僕は無関心を装うのだ。叫べば叫ぶほど心はさみしさに染まってしまうから。


冷房の利いた部屋で冷たいアイスティを飲みながら僕は思いだしている。冷房がなければ死んでしまいそうな顔をしていた人のことや、酔っぱらうと小学生のようにはしゃぎまわる人のことを。彼らに何か問題があったかと言えば、ないことはないのだけれども、でもやっぱり僕のさみしさが僕自身を狂わせていたことは確かなのだろうと思う。その寂しさのせいで僕は判断を誤ってますますさみしさを募らせてゆく。その繰り返し。どうにかしないといけないことは分かっていても、どうにもできなくなるまで引き返せない。そもそも誰かと親しくなることをやめてしまわない限り。そう考えて僕は笑う。子供みたいに。子供みたいに。子供みたいに。