インタビュー1【生きる目的】

http://anond.hatelabo.jp/20101106161007


はずいなーこれ(いや書いたおれがです(創作ですよ創作
なんかあのインタビュー?っていうか禅問答っていうか、なんなんですかあれ、っていうのが気に入らんくてかいてしまった。内容は何でもよかったんだけどね。

―というわけでどこかの増田さんのまねをしてみました。今日のテーマは生きることとは?です。よろしくお願いします。さて早速なんですが、あなたにとって生きる目的とはなんですか?

あまりにも単刀直入に聞かれたので困っているところなんですけど(笑)、生きる目的って言ってもちょっと漠然としてると言うか大雑把と言うか。どこから話したらいいものやら……だって普段の生活で生きる目的なんて考えなくないですか?考えます?


―考えませんね(笑)

ですよねぇ(笑)


―じゃぁ生きてるのは楽しいですか?つらいですか?

あーそれなら答えられる。えーとねー、どっちでもない。


―二択でどっちでもないって新しい選択肢を答えるのは新しいですね。

そうかなー。でも考えてみたらわかると思うけど、確かにうれしいこととか幸せなことがあった日ってのは記憶にあるし、逆にすっげーつらいこととかムカついたこととかがあった日ってのもやっぱり記憶に強く残ってるものだと思うのね。でも、一年間の合計で見たら強度は別として日数が多いのは確実にどっちでもない日じゃない?記憶に残らないような平凡なつまらない日、でもつまらないことも忘れちゃう日みたいなそんなのがずーっと続いていてたまにぽつぽつとよい日とよくない日がある、みたいなさ。


―確かに量だとそうですね。強度っていうのは?

忘れちゃう日は記憶の中ではカウントできないよくらいの意味です。

正直なところ生きる目的とか考えるのは面倒だな、って最近思ったりする。理屈こねくり回すのとか大好きで、のめりこむあまり二次元の世界に没入してしまうようなところはあるんだけど、でも二次元と三次元つなぐのめんどくさいなって最近思ってる。
理屈こねまわしてないときに何やってるかっていったら仕事したりご飯食べたり寝てたり、誰かと冗談言ってたりとかするわけでさ。そこに全然頭の中で考えたものを投影する機会とかないし。三次元の生活の中でたとえば美味しいもの食べたとか、尊敬する人と話したとか、尊敬する人に飲みにつれてってもらえたとか、「うめー!」「やべー!」とか言ってそんで幸せになっててさ。そんで「生きててよかった!」とか大げさに思ったりするわけよ。もうほんとに大げさだと思うけど、最近常にそんな感じ。すごく単純化してると思う。でもそれってすごく楽なのね。なんかの目的のために頑張って幸せになろうとしてるんじゃなくて、幸せだから生きててよかったって、そういう順番。生きる目的を考えるのって、「こうこうこうすれば幸せになれるはずだから頑張ろう!」って感じじゃん。逆かなって思うようになったんだ。目的なんかなくても、毎日一生懸命生きてればどっかで楽しいこととかやったーって思うこととかあるんだもん。目指してる目的と違うからそれは別腹ってやってもいいんだろうけど、なんかつらいよねぇ。ひねくれてるっていうかさ。なんかわけわかんないこと言い始めてきちゃった。うんまぁよくわかんない。


―あえて言うなら生きる目的は幸せになること、っていう感じ?

どうなんだろう。うーん、それも違う気がするな。別に幸せになるために毎日を一生懸命生きているわけではなくて、興味があること一生懸命やってたらなんか幸せになれるような出来事がいっぱいやってくるぞうひょーって感じだから。そもそも嬉しいぞとか幸せだぞとか思うことがやってることと直結してるわけでもないしね。


―なるほど。どっちかと言うと棚ぼた的にと言うか…

棚ぼた(笑)。まぁいっちゃえばそうかもしれない。なんか夢中になってやってることがあって忙しいんだけど、飲みに行こうって言われたよ!いっちゃうよ!ごはん美味しいよ!でもそれじゃないんだよ!だけど幸せ!ああでもあっちが気になるよ!みたいな。


―楽しそうですね(笑)

楽しいです(笑)


―最初に楽しいかつらいかっていうことを聞いてしまったから方向がずれたんでしょうか

うーん、別にずれてはないと思いますけど、インタビューの目的にはそってないかもですね。でもどう頑張っても生きる目的って言われてぴんとこないんですよ。はっきりいって生きる目的がないというか。


ぴんとこないのはどうしてですかね

なんでしょうね。考えたことない、まぁあるっちゃあるんだけど、考えてみたところでそれと自分自身が一致しないっていうか。うーん、なんて言ったらいいのかな。わかんないな。
目的って言うとなんか難しいからもっと簡単に「なんで生きてるのか」って聞かれたとすると、「死んでないから」って答えると思うんですよね。まぁそういう感じ。


―生きてるのは死んでないから?

そう。死んでないから。死んでないから生きてる。自分の考えとか理性とかそういうのは全部抜きにして、とにか死んでない、生きしてるし、脳は動いてるし、心臓は順調に動いてるし、っていうそれだけな気が。

最近は随分なくなってきたけど、なんか知らないけど気づいたら赤信号に突っ込んでたりとか、線路に吸い寄せられたりするときとか、あるんですよね。別に苦しいとか死にたいとか考えてるわけじゃないのになぜかそっち側に落ちて行きそうになるときがある。そんでわれに返って、あぁ死にそうになってた、死んでないって思ったりする。ビルから外眺めてて人が落ちてくる幻覚が見えたりとかね。それではって気付いて、あぁ私じゃなかった、よかったって思ったりするのね。そういうときになんで生きてるんだろうとか考えたりはする。なんで今死ななかったんだろう。生きてたんだろうって。でもだいたいそういうときって意識的に死のうとしてるんじゃなくて無意識が死に吸い寄せられてて、でも最終的にはその手段をどっかで選ばない理性なのか本能なのかが働いてるんだよね。なんでかわからないけど、そういう選択をしたから私は生きてて死んでない。いつも。そんでそういう自分を信頼してる。

御大層な理由があるから生きてるわけじゃないんですよ。あらゆる岐路で今までずっと死なない方を選択してきたし、無意識がそっちを選択する以上これからもずっと死なない方を選択し続けるんだろうっていう漠然とした予想があって、だからなんていうかこう「目的」ってきかれるとわかんないなーって答えちゃう。何がしたいのって聞かれると特にないですっていっちゃう。たぶんこれからも誰かに流されたりとか不可抗力に逆らわなかったりとかしながら生きていくんだろうし、それでも幸せだーって思うときがあって楽しいなって思うことがあって、一生懸命やろうって思うものがあって、それも自分の意志なのかもしれないけどはっきり意識的にこうだ!って決めるよりはずっとなんかうまく楽に生きていきやすい選択肢を選べるような気がするんだよね。

そう、だから順番が逆なの。死んでないから生きてて、生きてるからやることがあって、生きやすいために選択をして、それで幸せになったりする。悲しいことに遭ったりする。死にたいことやもうやめたいって思うことやそういうのに心をかき乱されたりする。そういうの全部込みで生きてるってことなんじゃないかなーっていう。目的のために生きるってなんかおこがましいっていうか傲慢だよね。って。まるで何でもかんでも自分でコントロールできると思ってるみたいで、あほかと。目的がなかったら死ぬんか、死んで見せろや、クソが。っていう。

―確かに死ぬのは怖いですね。死にたくない。

うん。死にたくない。絶対に死にたくないし痛い思いをするのはやだ。ちょうやだ。


―絶対に死にたくないのになぜだか突然死にそうになるんですか?

うん。まぁこれは家系の問題と言うか、気質が遺伝しているというか、あれなんですよ。急に元気になっていろいろやるけどそれが恥ずかしくなって死にたくなっちゃう病気。なわけです。双極性障害ってやつ。いわゆる躁うつ病。二型とか一型とか言われてるけどどっちかってと二型なのかなー。でも医者によっては一型って診断されたりする。そんなに上がってる状態にはなってないと思うんだけど、しゃべり方とかがおかしいのかもね。躁のときって自分ではわからないし。最近は落ち着いてるから全然薬も飲んでないし通院もしてないですけどね。たまに市販薬で睡眠制御もするけども。
んでそういう病気なのでまー、病気がそゆうのを吸い寄せると。


―でも死なない。

そう。死なない。病気が吸い寄せるけどどっかが拒絶してるのかなぁ。理性は全然感知してないと思うけどね。あれ、でも感知してるのかなぁ。試験とか大事な用とか発表とかあるじゃない?あぁいうときは躁でも鬱でもないんです。理性で全部押さえこんじゃう。あれって波があって定期的にどっちかにふれるはずなのに、なぜかそういうのがあるとぴったりと何もかも消えてしまう。あーでもいろいろと消えてるからある意味鬱なのかなぁ。疲れない程度に眠れなくなるし。んで、終わるとすごいの。どっと鬱が来て動けなくなるの。疲れてるだけって噂もあるけど(笑)まぁでも一時期ちゃんと病院に通って、そこらへんのコントロールができる能力を身につけたので社会生活を営む上ではほとんど問題ないと思う。10年以上の付き合いだしね。10年どころじゃないな。まぁいいや。なんの話だっけ。


―死なないって話ですね。死にそうになるけど死なない。死にたくなるのは病気が引き寄せてるからで、死なないのはどっかが拒絶してるから、でいいんですよね。死にたくない気持ちかなにかがどこかにあるから死なない。

うん。で、それは自分ではあまり意識してないと。


―で、結局なんで死ななかったかと言うと死にたくなかったから。

逆になんで生きてるかっていうと、死んでないから。いつでも死んじゃう可能性はあるけどそのたびに自分では死なない道を選んでしまうから死んでない。生きてる。なんで生きてるんだろう。死んでないからか、っていう。わけわかんないですね(笑)


―いやそんなことないですよ。わかんないけど(笑)

普通人はそんなに死にたいって思わないらしいですね。私ちょうびっくりしたんだけど、まじで!そうなんだ!みたいな。


―ならないですよ。死んじゃったらどうしようとか、事故ったらやだな、まだ死にたくないなみたいに考えることはあるけど、死にたい、あれ死ななかったぞ?みたいなのはない。

別に死にたいと思ってるわけじゃないんですけどね。あれ、「今死にそうになってたぞ?」って感じ。逆にそういうことが頻繁にあるから、死んでないから生きてるのかーっていうすごく単純な考えになっちゃったのかも。だっていつ死ぬかわからないしね。目的とか考えるよりも死なないためにはどうするかの方が最重要項目だし。


―生きてることが当たり前じゃないから…?

そうそう。そういう風にこうばっさりと一言で言えるようになりたいんだけどどうすればなれますか!


―いやいや、同一人物じゃないですか(笑)

まぁそうなんですけど(笑)


―あえて言うなら生きる目的はいきてゆくこと、って感じですかね。

あー、それいいですね。生きてくこと、ある日突然死んじゃったりしないことが目的。あーでもなんかやっぱり違うような気がする。生きる目的って目的っていうけど手段だと思うんですよね。生きる目的は最終的には死ぬことだと思うんです。立って最後には必ず死ぬんだもの。どこを通っても目的地は死だし、そこまでをどうやって歩くかは手段で、その歩き方に関していろいろ考えるのを人は目的っていってるような。


―なるほど。確かに死にたくはないけど最後は必ず死んで終わりですね。

どういう死に方をするかっていう希望を言えと言われれば言えると思うし、それは確かに生きる目的に近いかもしれないけれども。


―けれども?

なんか話が飛ぶけど、私って結構乙女なんですよ。


―乙女(笑)

もうほんとに乙女。運命とか信じちゃうし、運命に流されてると思ってる。だからどういう死に方したいかって言われたら言えるんだけどっていうか幸せな死にかたしたいよ!ってだけなんだけど、そこにたどり着くまでは運命に導かれるままと言うかなんというか、自分では決められない部分の方が多いんじゃないかなみたいな。ていうかそうであってほしい、みたいな。運命変えられるとか信じてるの?馬鹿じゃね?みたいな。運命信じてるのも同じくらいバカなんですけど。


―ん?つまり運命である程度はきまっちゃってるんだから、生きる目的っていうか今回の話だと手段ですね、を持つのはバカらしいということ?

そういうこと。いくつか選択肢は用意されてると思うんだけど、どの選択肢選んでも結局同じところ行きつくんじゃないかみたいな思い込みがあって、だからわざわざこれ!この選択肢以外なし!そうじゃなきゃ意味がない!とか言われると生ぬるい視線で見ちゃう。どれ選んだってかわんねーし素直に出された選択肢選べよと。


―の割には最初の二択でどっちでもない答えを言いましたね

まぁ納得できない場合はそういうこともあります。めったにないですけど。


―レアだったんだ!

でもないかも(笑)


―どっちなんだ(笑)

わかんない(笑)まーで、話を戻すけどそうじゃなきゃ意味がないけどそれが選べないならどうするんだ、死ぬのかっていうね。思っちゃう。目的は結局死ぬことなのに、そこで死ぬの選んじゃうんだ。ってか選ばないんでしょっていう。もうわけわかんないですね。


―つまりポイントは自分の出している選択肢が選べない場合に死ぬのか?死なないんだろ?生きる「目的」、この場合かっこ付きの目的ですね、を得られなかったら死ぬわけじゃないのに、なに御大層に目的とかいっちゃてるの?と、そういうことですか?

なんでそう一言で言えるんですか!

ほんと幸せに生きていたい。死ぬ時も幸せにあー死ぬんだ―でも今まで楽しかったーとか思ってたい。犬みたいに。
ごはん美味しいよー、ボール楽しいよーお散歩行きたいよー雨いやだよー雷怖いよー死ぬの怖いよーでも死んじゃうよーあれーみたいな。犬がどう思ってるかわかんないけど、ほんとのところは。でもあぁいう即物的な生き方は本当にいいな。今やりたいことやって、してほしいことねだって、誰かが全力で好きで知らない人は全力で怖がって、全身で感情を表して、すねたり怒ったりおびえたり間違えてごまかしたり、喜びすぎてわけわかんなくなっちゃったり、楽しい。幸せすぎる。好きな人に好き好きっていって、嫌いな人に近寄んなって吠えて、美味しいもの食べさせてもらったらにこにこして、それでいいよって言われたらそれだけで十分幸せだな。
遠い未来のこと考えて不安になったり理屈こねまわしたりするのも長い目で見れば悪いことじゃないんだろうけど、それで前にも後ろにも進めなくなっちゃったらなんなんだろうね、って思うんだよね。やりたいことやればいいし、感じたことをそのまま思えばいいし。だって死んでないんだし。死ななかったんだし。今この瞬間死んでてもおかしくなかったのになぜかそうじゃなく生き残ってるんだし。そうだな。だから、あれなんだ。先のことばっか考えてないで今できることをやればいいじゃないって。今感じるものを、思うことをそのまま受け入れればいいじゃないって。もう何年言ってるんだろ、これ。でもこれからもずっとそうでありたい。