恐怖とか

ちょろっと考えてみたけど結論にはたどり着いていない。相変わらずあのあたまがおかしいいいたがりのおやじが出てきていて吹いたが、あのひとの文章て論理破綻してるよねぇ。おかしいもの。でもなんかうまいことずらすなーそれっぽく見せるなーと感心したところ。


さて、恐怖についてだが、それを感じるのは仕方がないことだと僕は思う。夜中のトイレが怖いこどもに怖いと思うのは間違ってるといってもしょうがない。怖くておねしょが治らないとかトイレを我慢しすぎて病気になるとかになれば実害があるのでどうにか対処せにゃならんが、実害がないのならば、その恐怖は克服しなくても別に良い。本人が克服したいと強く願っているのならともかく、他人があれやこれや口出しすることではない。
男性に対して恐怖する、もしくは女性に対して恐怖する、自分の快楽を制限されることに恐怖する、既得権を奪われることに恐怖する、その恐怖はみな等価に恐怖であり、それ自体を有することは何ら罪ではない。感じることまでは規制できないしすべきでもない。しかし実害があるのならば、その一部は何かしらの対処をすべきである。実害があるならね。実害をこうむらないような対処が別の恐怖を呼び寄せるのなら、その対処法についてもう少し考慮すべきである。それは痴漢冤罪問題で出てきた法整備の話にあるように。恐怖を抱く人が悪いのではない。恐怖を抱く対象が悪いのでもない。その恐怖をうまく逃がしたりあるいは実害を受けないようにする仕組みが整っていないだけなのだ。もしくはその仕組みに穴があったり不備があったりするだけなのだ。
さてその方法は?僕はそこまで考えつかないのでまた棚の上にあげておくことにする。