英語がネイティブじゃない国に生まれたことはそれはそれで価値があることだと思うけどなぁ

http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

これ思いだした。まぁおれがすきなの前半部分だけなんだけどね。あの叙述的な文章はすごくよいと思った。後半の部分は文系の人の論証ってこういうわかりにくい感じなんだよなーと思いながら呼んだ記憶が。論証方法になれてないんだろうな、おれが。


なんか英語は下手だけど一生懸命価値があることをしゃべろうとしているようだということで一生懸命聞いてくれる外人は多いというかちょっと下手なくらいのほうが逆に一生懸命聞いてくれるような。多分不気味の谷みたいなもんなんだろうね。ネイティブにとっての普通に近づけば近づくほど違いが気になって不愉快になる。遠ければ遠いほど、それでも何か伝えようとしている姿勢のほうに目が行って寛容になる。なんかそういう本あったなぁ。なんだっけ。

おれも仕事で英語書くけど、明らかに行間になにか書いてあるんだろうなーっていう外人の文章に比べて、文面以上のことは何も書いてない(というかかけない)がその代わり必要最低限のことが簡潔に書かれている日本人の英語の文章というのはそんなに悪くないと思っている。わかりやすいし。誤解がないし。設計まで簡潔になる、とか誰かゆうてたな。逆にむこうに日本語が分かる人がいて日本語でやり取りするとなんつうかこういろいろと決まらないというか行き違いがあるというか。まぁ技術系だから簡潔なほうがいいっつうのはあるんだと思うんだけどさ。
あーそういえばバイトやってたころに海外特許出した時もそんな感じだったなぁ。文系出身の弁理士さんに頼んでしまうと、そもそも内容がよくわかってないのと、行間があるような文章を書くので見当違いなクレーム拒否がかえってきて、その反論にすごくコストがかかってしまう。文章はうまいんだけどさ。結局おれが最終的にチェックして、不要な部分とここら辺の行間多分いらないですっていうか多分誤解されるよみたいな部分を修正してこないだようやく通ったようだ。行間になにか書いてあるらしいことが分かる程度の英語力でかつ自分は行間になにか書いてあるような文章が書けない人ってのは必要なんじゃないかなー。だから別に英語できなくてもいいんだよ!(なんだこのまとめ(俺は本当に英語できないですほんと