僕の状態は常に不確定だ。いつも曖昧な境界線上を漂っている。時々そういう自分が怖くなることもあるし、普通はそういうものだと思うこともある。
調子が悪いとき、世界は悪意に満ちていると僕は思う。たとえば道行く人が、隣に立つ人が、レジの店員さんが、会社の人が僕を嫌そうな顔で見ていると思うときは調子が悪いことを僕は知っている。そういうとき、僕は自分がおかしいのではないかと思っていらだつ。たとえば失敗が続くときや運が悪いことが続くとき、僕は調子が悪いと考える。暗い穴に引きずり込まれるような感覚に僕は腹を立てる。どうでもいい失敗や手際の悪さに癇癪をおこし、その調子の悪さをわかってくれないひとに八つ当たりをする。僕は公正でもなんでもないし寛容でもないし、八つ当たりはするし癇癪は起こすし、とてもこどもっぽくて嫌な奴だ。と僕は思う。
僕は太くはっきりとした境界線を保っている人に畏敬の念を抱いている。とはいっても彼らだって、八つ当たりをするときはあるし、酔っ払ったときの絡み方はめんどくさいし、人のおしぼりで虫を捕獲したりとかして、全然人格者じゃない。でも僕からみてかれらはぴしっと黒くまっすぐに、均一にひかれた境界線を保っているように見える。それを僕は正気と呼ぶ。その線はどこまでもまっすぐで潔く、消えてしまったりぼんやりとにじんだりすることがない。彼らは正気を保ったまま子供っぽくなったり非常識なことをしたりする。とても無邪気にどこまでも正気で。僕はそれをとてもうらやましいと思う。

どうしてこの世界はこんなに美しく見えたり、悪意に満ちて見えたりするんだろうと僕は不思議で仕方がない。僕は時々何もかもが怖くてたまらない。でも時々何もかもがばからしく見えてしょうがない。ある時は何もかもが美しく見えるし、ある時は何もかもが汚く見える。僕の体は僕の調子次第で、僕の頭の中で膨張するときもあるし、醜く腐ることもある。ただの人のよさそうな目の前にいる人が僕に危害を加えようとしているように見えるときもあるし、優しい人だなと思えるときもある。僕の世界は常に不確定で曖昧だ。だからきっと僕は美しい世界を保っている人にあこがれるんだろうと思う。僕から見ても常にその世界が美しいものであればあるほど焦がれるのだろうと思う。