例えば僕が生への執着心を失ってこの世から消えたとして、その時に残るものはなんだろう。2003年からつけているはてなメインアカウントの方の日記とグループ日記、2007年からのtwitterのアカウント(b_say_so,pigya)、そしてここ?多いなwそれだけ僕は言葉に執着しているし、言葉を失わない限りは生きていけるのだろう。朝焼けを待ちながらそんなことを考えていた。
僕の消してしまったb_say_soアカウントでのことばたちは一応メインアカウントのプライベートなグループ日記の方に残されています。牛蒡は完璧に消えたけど…だから2008年ごろからの一年間半分くらいは僕のログはtwitterだけになる。読み返すと当時見えなかった僕が浮かび上がってくる。