僕は心を閉ざしている。言葉尻をとらえて茶化し、あるいは道化役になって、顔を歪ませる。分厚いセーターの中で僕は体を固くし、笑いで身を守っている。首まで覆うセーターはあたたかく、安心だ。指先まで隠れるセーターはひび割れを衆人の視線から守ってくれる。僕の醜い笑い。隠しきれない、憎しみから来る歪んだ笑み。
たった一言で救われるのだろうか、と僕は思う。あの、明日が来ることを信じきれない貧しさを、底のしれない絶望を、信じていたあたたかい手を奪う暴力を、心を失う凍てついた冬を、謝る言葉はない。自分をいたわる言葉と、すべての罪を覆い隠す嘘と、都合のよい甘い薬で覆い隠して夢を見る子供を僕は全力で拒否をする。許しはしない。いやできない。ただ一言でもあれば救われるのだろうか、許せるのだろうかと思う日はあるが、いつも結論は同じだ。
そうしてぼくはめんどくさい、と呟く。なにもかもめんどくさい。傷つけられることになれきった心は諦めることを覚え、何もしないことが得策だと知り、ただ黙ることで時が過ぎるのを待っている。めんどくさい。めんどうだ。息をするのを永久に忘れてしまうことができればいいのにと思いながら、僕は今夜も床につく。懊悩は僕を折に押し込め永遠に解放しないのだろう。