全部忘れちゃってるみたいと僕は言う。そういう病気だからね、しかたがないんだ。あの人は妄想の世界の中で生きてる。妄想と現実がずれると憎しみが生じて誰かを罵る、そういう病気に罹ってるんだ。それで、自分が病気だってわかったら、過去のことは全部なかったことにしちゃう。
 答える声はなく、僕は少しだけ安心する。僕は安堵と寂しさを抱え体を丸め、また口の中でつぶやく。怖いんだ。自分もあんなふうになるんじゃないかって。そして僕は咳をする。無意識の手が、僕の背を優しく叩いている。僕は満たされ、犬のように鼻を鳴らして目を閉じる。わんわん、と聞こえない声で鳴く。