明治と写真と戦争 -2

というわけで1にひき続いて書く。

さっと明治時代のおさらい

ちなみに戦後カメラの歴史も書こうかな!とおもったけどまだ一眼レフが出たところまでしか調べてないのでいつになるやら。
とりあえず今回は明治と写真と戦争の関係に絞ってかきます。というわけで明治時代のおさらい。


明治時代は明治天皇が即位した1868/10/23〜1912/7/30までの期間のことを指している。
明治天皇は写真嫌いだったらしくて、それで仏頂面の写真しか残ってないんだそーだ。

ちなみに明治前は討幕運動でしっちゃかめっちゃかなので、血で血を洗う争いをやりまくっていた。同じ藩の藩士でも尊王派と攘夷派で殺し合っているし、その後戊辰戦争でまた殺し合っているし、水戸藩内の藩内抗争で人材が失われて、新政府の人材がいなくなるっつうのはわりと有名な話で、ほんとよく人が死んだんだなー(ただし武士と農民に限る)、である(町人と商人は全然関係ない)

とりあえず流れを見ると、

  • 戊辰戦争(1868〜1869年 明治元年〜2年)
  • 1869年 明治2年:版籍奉還、電信開通
  • 1871年 明治4年:廃藩置県、二卿事件、日清修好条規、岩倉使節団派遣、郵便事業開始、貨幣統一
    • 二卿事件は簡単に言うと戊辰戦争で攘夷派が勝利したのに攘夷しない方向に政府が舵を切ったのでへそを曲げた人たちがいた事件。西南戦争に至る火種である
  • 1872年 明治5年:学制公布、鉄道開通
    • 公布はされたが教科書代とか高いのであんまりみんな行かなかった。批判も多かったもよう
  • 1873年 明治6年:徴兵令発布
    • このときは兵役免除される条件があった。長男とか養子とかは基本兵役免除である。その後かわる
  • 1874年 明治7年:台湾出兵
    • 漂着した沖縄民が台湾で殺害されたので切れて出兵。征韓論に反対していたわりにこういう時はブチ切れるのが明治の人である。この時にも従軍写真師がいたが、現地で死亡。死亡の理由は不明
  • 1876年 明治9年:地租改正
  • 1877年 明治10年:西南戦争
  • 1885年 明治18年:内閣制度発足
    • ここで注意したいのはまだ国会や憲法ができていないのになぜか内閣だけ発足したことである。すげな
  • 1889年 明治22年:大日本帝国憲法公布
  • 1890年 明治23年:帝国議会発足、小西本店が内国勧業博覧会に国産の暗函を数店出品する、電話サービス開始(東京-横浜間)
  • 1893年 明治26年:初の国産機関車製造
  • 1894年 明治27年:小西本店が国産のビュータイプ及びテクニカルタイプの大判カメラの販売を開始
  • 1894〜1895年 明治27〜28年:日清戦争
  • 1895年 明治28年:下関条約
  • 1896年 明治29年:三陸地震
  • 1900年 明治33年:義和団の乱
  • 1902年 明治35年:日英同盟、小西本店から乾板・印画紙研究所・工場として六櫻社が建設される
  • 1903年 明治36年:チェリー手提げ暗函1号発売
  • 1904〜1905年 明治37〜38年:日露戦争、チャンピオン手提げ暗函発売
  • 1905年 明治38年:ポーツマス条約
  • 1907年 明治40年:大量の手提げ暗函が発売。さくら雙眼プラノ暗函とか。
  • 1908年 明治42年:パール手提げ暗函発売
  • 1910年 明治43年:韓国併合
  • 1911年 明治44年:関税自主権の回復
  • 1912年 明治45年:明治天皇崩御

明治4年いろいろありすぎ。あと国会開設までは国内でごたごたしまくってたが、その後は一気に国外に目が向いていった感じだ。まぁ清の内情がぼろぼろであることが諸外国にバレたりとか、ロシアが不凍港求めて南下政策とりはじめたけど欧州側では阻まれたので極東側に向かって進出を狙っていたとか色々理由はあるのだが、攘夷の方向性がそのまま軍備に向いたんでしょうね。ただ留学に行ったりなどして国際情勢は理解していたので、単純な「攘夷」ではなくなったけども。

さてさり気なくカメラの歴史を織り込んでいることにお気づきだろうか?
まるで日露戦争とチャンピオン手提げ暗函の発売が同レベルのようだ。変にならないように郵便制度とか電信開通とかいれてみたけどダメなもんはダメでしたごめんなさい。
ちなみにさくら雙眼プラノ暗函はこちら

(アイデア手提げ箱より)
値段は判らないが多分20〜40円くらいかな。

ただこの年表に無理やりカメラを絡めてみてわかるのは、日本の技術革新が進んだのは明治二十年ごろの国内が落ち着いてから、その後日露戦争終結後一気に手軽なカメラがブームになっているということだ。これは日露戦争に報道機関が入って新聞に写真が出たりとか、戦地の絵葉書がすごい流行したりとかからくる影響で、その後大正・昭和とどんどん日本国内で写真熱が高まっていく一つのターニングポイントに当たる。
行き過ぎたあまり首からカメラ下げてるのが日本人というステレオタイプまで出る始末だが、実際日本にはカメラ会社が多いし、未だにシェアのトップを占めているし…

そしてこのターニングポイントを作ったのが、小川一真と、従軍写真班と博文館だったのだ。


というわけで次回、3に続く。


上で出した暗函はカメラ博物館に行けば結構見れるよ!おすすめです。