明治と写真と戦争 -5

というわけでなんだかんだと五回目ですね、斧田です。こんばんは。今回は陸地測量部の話

日本における測量

日本で最初に本格的な測量をしたのは、もちろん皆さんご存知の伊能忠敬で、1800年頃のことです。組織的に測量を行うようになったのは明治時代に入ってから、1869年に戸籍地図掛が内務省にできたのが始まり。これは国土地理院前進なんだけど、即戦後に移動したわけではなく工部省、兵部省を経て、また内務省に戻り、それから内務省地理局と並行して参謀本部に測量課が設けられ、国内情勢が落ち着いた頃に参謀本部陸地測量部になった。で、終戦後に内務省地理調査所となり、1960年にようやく国土地理院になる、とまぁ紆余曲折してようやく。。。という感じ。

で、今回陸地測量部を取り上げたのは、明治時代において民間の写真師とは別に、陸地測量部で写真術の教育が行われたから、ということなのです。
測量部といっても三角測量だけをしていたわけではなく、前に書いたとおり地形図をかいたり、陸軍においては偵察をして地形図の写真を撮ってなど結構いろんなことをやっていたらしい。特に日本の外へ戦争しに行っていた時代で地図がなけりゃぁ作戦も立てられんし兵隊も動かせないし、日本国内でも精密な地図はだいぶ作られているとはいえ未踏の地(剱岳とか)まで三角点を置きに行ったり(結局剱岳には置いてないが)など仕事はたくさんあったもよう。内緒で敵地偵察に行って死ぬこともあったようです。大変だなー
あと中国からの留学生もかなりうけいれていたそうだ(pdf注意)。明治三十七年(日露戦争開戦の年)から明治四十四年まで(辛亥革命まで)の短い期間だけども。


で、ここに小倉倹司と小川一真が絡んでくる。

小倉倹司

小倉倹司は文久元年(1861)うまれの江戸っ子。で、細かいことはよくわからないんだが(没年もわからないし)、お兄さんは陸軍司令官学校の教官だったとのことで、多分武家だったんだろう。少なくとも裕福ではあったと思うな。
で、彼が写真を始める切っ掛けになったのは兄ちゃんが写真師の弟子で(なぜその後教官になったのか…)、自分は教官になってしまったからか弟の倹司さんに写真で身を立てろと手ほどきをしたとのこと。ただ、英書で独学という話もあるので、とりあえず使い方だけ教えてあとはこれ読めつって本渡しただけなんじゃないか、これ。
ま、そんなわけで小倉倹司は写真師になったわけです。
で、彼は明治九年に写真館をオープンしてみたが、一年半後に商売をたたんでノイローゼに。しょうがないので兄ちゃんが陸地測量部にコネで入れてやって測量部に所属することになった。なんか即入部したみたいな感じだが、入部は明治二十年なので、しばらく雇員として働いてたのかな? それともニートだったのだろうか…。明治時代はニート多いからなぁ…
ただ、こっちは性に合ってたのか日露戦争では写真班の班長になっているほどだ。実際努力家だったようでドイツ語一生懸命勉強して、オーストリアに留学し、印刷技術を習得したりしている。
日清戦争の時は33歳だがまだ技術が追いつかず(うまいけどね)、日露戦争の時は43歳で行軍はきつかったと思うが結構有名な写真を残している。というか他の人のと並べてみるとやっぱりうまいなーと思う。ぽつんと立ってる人とか馬とかを撮るのが好きみたい。

小川一

前にも書いたがイケメンである(あんまり関係ない)。1860年に行田でうまれてて、十七で一旦写真館をたちあげてみたものの四年ぐらいで廃業して横浜へいき、小倉倹司の兄さんの師*1の弟子に師事(ややこしい…)したのち、明治十五年(1882)から十八年まで米国留学をして特に乾板写真法を学んだとのことだ。で、帰ってきてからめっちゃたくさんおかかえの写真師を持つようになる小川玉潤会を立ち上げる、と。またこれが商売上手だったみたいで写真を撮っては写真帖として印刷して売って、どんどこでかくなったようだ。この人も武家の生まれなのに小倉倹司と何が違ったんだろうなぁ。

で、まぁ小川一真もめちゃくちゃ写真うまいんだが、どちらかと言えば印刷&売る方向で頭角をあらわして、日清戦争日露戦争の写真を後世に残した。
個人的にはスタジオ写真は明らかに小川一真のほうがうまいけど、野外写真は断然小倉倹司の方がうまいなと思う。まぁ撮ってる量でしょうね。量が違いますよね。小川一真も日清戦争の時は海軍の写真を撮ってる(海軍には写真班はいなかった。この頃から陸軍と海軍は仲が悪かったのか…)けど、やっぱりこの時期は亀井伯爵が一番うまいな!と思います。

ちなみに小倉倹司は印刷、小川一真は写真撮影を留学して学んだはずだが、その後は得意分野が逆転しておりちょっと面白い。まぁ戦地でもすぐに現像・印刷するので小倉倹司はどっちもやっていたはずではあるけども、戦後にそれらをまとめて写真帖にするときは乾板の修正をしてから印刷しただろうので小川一真の手が入ったんだろうな…


さて、というわけで主要人物がやっと出てきたので次回は日露戦争のはなしへ。日露戦争もおもしろいよー

*1:関東ではこの人が写真の開祖と言われている