吃音について

書いたことあったけ?俺は吃音癖持ちです(=゚ω゚)ノぃょぅ

http://anond.hatelabo.jp/20100528220826
ちょっと本題とははずれるんだけど、吃音でうまくしゃべれなかったことを笑ってもらえるのはまぁいいんですけどそれを真似されるって…微妙…と思ってしまった。世の中の人は真似したりしません。見て見ぬふり(この場合聞いて聞かぬふりか)するだけです。個人的には笑ってほしいとは思うけどね。でも真似されるのはやだなぁ。

連声型(連続型、連発)
たとえば「おはようございます」という文章の場合、発声が「お、お、おは、おはようございます」などと、ある言葉を連続して発生する状態。
伸発
「おーーーはようございます」と、語頭の音が引き伸ばされる状態。
無声型(無音型、難発)
「ぉ、……(無音)」となり、最初の言葉から後ろが続かない状態。

(中略)

一般的に吃音には、次の四つの段階がある。

第1段階 - 連発。本人にあまり吃音の自覚のない時期。
第2段階 - 連発・伸発。本人が吃音を気にし始める時期。次第に語頭の音を引き伸ばすようになる。
第3段階 - 難発。吃音を強く自覚するようになる時期。伸発の時間が長くなり、最初の語頭が出にくい難発になる。時に随伴運動が現われる。
第4段階 - 吃音のことが頭から離れず、どもりそうな言葉や場面をできるだけ避けたり、話すこと自体や人付き合いを避けたりする。

なお、『連発 → 伸発 → 難発』へと順番に移行していくものではなく、『連発 → 連発+伸発 → 連発+伸発+難発』と新たな要素が加わりながら移行して行くものとされる。

さすがwikipediaだ。何この無駄な詳しさ。

昔は連発だったけど今はほとんど難発&緊張していない場合は症状が出ない&無口で通しているので、あまり気づかれてはいないと思いますが。でもまぁ時々連発が出る。というか一回引っかかっちゃうと同じ言い回しから抜け出せなくなるんだよな。なんなんだろうあれ。慣れてくるとあまり出ないんだけど、知り合ってから日が浅い人とか苦手だと思ってる人相手だと難発が出て「あ、それは………」でしばらく止まってたりとかして変な顔をされることはある。プレゼントかだと息継ぎの仕方が分からなくなるのでだーーーーーっとしゃべって変な音節で区切ったりします。
あとあれなんだよなー。「どうですか」とか「なんですか」とかそういう質問に弱い。何を言ったらよいかわからないあいまいな質問や問いかけに対して過剰に緊張するのか、長くしゃべらなければならないという心理的プレッシャーが働くのかよくわからないけど、あれはやめてほしいですね。どうって何がどうなんだ。わからんぞ。

吃音に限らず環境の変化に対して異常に弱いので、環境が変わると吃音は出やすくなる。同じくらい聴力の方にも問題が出る。聴覚自体は(多分)正常なんだけど人の言語が解析できなくてナニヲイッテルンダオマエハ状態になるのね。もちろん難発も発生するのでおそろしくあほな子になるという…。
おそらく言語変換のあたりが貧弱なのだろう。言語自体で困っているわけではないし、文章であればむしろ饒舌すぎるくらいだ。ただその出力先は自分が書くということの方に突出しすぎていて、文章を読むのはあまり得意ではなかったりする(これはまた別の問題なのだが


とりあえずそういうときの対処法を今までの経験から列挙してみる。

  1. 話さない(おい
  2. わからないという(おい
  3. わらってごまかす
  4. 手を動かして意識をしゃべることからそらす
  5. 体を動かして(ry
  6. 口が使えないなら手を使えばいいじゃないマリーというわけで代わりに図を描く
  7. 一人で声をマイクに録音してしゃべること自体になれる
  8. マイクで録音したのを聞いてここの単語と単語の間が短くなりがちだ、ここは長すぎるなどと分析し、傾向をつかむ
    • マイクで録音するのは「聞かれる」という意識の状態になれるという意味もあります
  9. 対話相手との信頼関係

話さないつーのは第四段階でもあるので対処法かと問われると微妙なんだけど、一番効果的ですね。だってしゃべらなきゃ吃音は出ないんだもの。僕の場合は聞く能力の方にも問題が出ている場合もあるのでそもそもしゃべれんということもあるし、1,2,3あたりはよくやってる気がする。調子合わせてるだけだと思われているんじゃないかなーと思うこともあるけど、間違ってはないので笑ってごまかすしかないわな。
手や体を動かして意識をそらすのは結構良いようです。おれ緊張してしゃべってるときはずっと指をうにうにしてたり指し棒を伸び縮みさせてたり、ペンまわしてたり膝を手のひらで叩いてたりとかしてます。質問されて、その答えを明確に内に持っているときは、比較的リラックスして話すことができるので、ぐにゃぐにゃしなくても話せたりはします。
図を描くのも思考の切り替えの意味合いが大きいかな。図を描いている間は代替ずっと無言なのだが、その間にリラックスしたり、思考を切り替えたり出来る。多少言葉が足りなくてもつまっても聴いている方も理解できるし。
朗読練習は最近始めたのでまだ効果は出ていない。でも人前でしゃべることへのプレッシャー自体は少し減ったかな。気をつける部分が分かるしね。これと同じで、頭の中で理想とする誰かがしゃべっているのを想像してそれと同じような息継ぎ、間合いでしゃべる、というやり方もある。

でも結局最終的には、対話する相手との関係性なんだよなと思ったりする。その人が変なしゃべり方に対して、蔑んだりからかったりしない、許容してくれるという信頼関係。黙り込んでしまっても詰問しないとか怒りだしたりしないとか。何度か聞き返しても嫌な顔をしたり、必要以上に大きな声を出さないとか(でも耳の悪い人はそうしてもらわないと困るんだろうなぁと思うので難しい)。そういうのが多分一番大事で、これさえできていれば他の対処法はあまり必要ない。
結局はそこなんだよな。気にしないってのはたぶん無理なんだけどどうやって気にやまずに済むか、そこから意識をそらすかもしくは余裕を持って対面するかという話になってしまう。それはつまるところ自分との付き合い方でもある。
どうなんのかーどうにかできんのかなーわがんね。