正しい感じ方はこうだ、こういう景色を思い浮かべることが正解だ、と臆面もなく言ってのける人々に僕は、どこかの本から借りてきた圧倒的な言い回しを突きつける喜びを知っていた。彼らは嘆息し、そして二度と僕に正解を押しつけてこなくなる。僕はまた静かな世界にこもって彼らの発するノイズに煩わされないで済むようになる。
でも幼い僕は、世の中のことを知っていたわけではない。先を見通す力も弱く、自分のことすらも制御しきれていなかった。どこかから借りてきた言葉を振り回して、それが自分の心のうちのように錯覚することもあった。小手先の、形だけきれいに整えた飾り。大仰な、何かとてもすごいことを言っているように錯覚させる虚像。そしてすぐにその飾りの内側を満たすものが僕の中からは湧き上ってこないことに気づき呆然とする。僕自身もまた、ノイズの一つであることに愕然とする。


だが、やがて僕は気付く。
削ぎ落とした言葉に息を吹き込むとちょうどよい大きさになる。
簡素であることは難しい。でも快い。
小さくて狭い僕のことば。痩せて色褪せた僕の言葉。ちょうどよい大きさだからぼくの心を安心してのせてゆくことができる。ことば。