神々の山嶺

神々の山嶺〈上〉 (集英社文庫)

神々の山嶺〈上〉 (集英社文庫)

神々の山嶺〈下〉 (集英社文庫)

神々の山嶺〈下〉 (集英社文庫)

読んだ。あまり書評とかしないんだが書きたくなった時はするタイプです。
ま、俺のことは置いといて。


他のレビューやよくコピペされるコミック版のとおり、極限の冬山、しかもエベレストに挑むひとの話だ。細かいあらすじはいい。ものすごく要約すれば男が山に登って帰ってくる奴と帰れなかった奴がいるという話である。名作である。
しかーし!
しかしである。会話文をよむとこそばゆくなるのはライトノベルフォーマットだからだろうか。女が出てくるととたんにメロドラマになるのは一体何なのか。エンターテイメント作家の性なのか、それとも出版社の意向なのか。恋愛要素がなければ売れない、ヒロインがいなければ売れない、ミステリー要素、サスペンス要素がなければ売れない?
そんなわけがあるか。ちくしょう。


正直そのパートが邪魔で邪魔で俺は悔しい。人のことなのに俺は悔しい。なぜそんなパートを挿入しなければならなかったのか。回避する方法はいくらでもあったはずだ。


正直この話は男が山に登るだけで十分だったと思うのだ。へんな読者への媚を先回りして予想して書く必要はなく、ただど真ん中、どこまでもどこまでも不器用な山男を書けばよかったのにと思えてならないのだ。そのせいで傑作が名作止まりになっている。最後にもう一度エベレストに行くのだって、別段涼子はいらなかった。ただ個人的な思いでに済ませようとしたにも関わらず大きな騒ぎにしてしまったことに対して罪の意識を書けば、それで十分な説得力になったはずだ。マロリーのカメラの伏線だって正直いつまで引っ張るんだと。盗まれる必要なんてなかったじゃないかと。羽生について調べ始めた時点でもうそれはいらない小道具に成り下がってたじゃないかと*1。幻覚と闘いながら書くノートの中身だけでも十分価値はあるんだよ。星空を見ただけでも良かったんだよ。もう一度いかなくたって彼を見つけなくたって幕は引けたはずなんだ。
だっつーのに。


それでも山登りのシーンはすげぇよ、ちくしょう。
多分コミック版は傑作だと思います。なんでKindleでかえんのかね。ちくしょう。

*1:というかあんなすげー気候の中で数十年前のフィルムが無事に残ってるものなのか?まぁいいけどもさ