警戒心の強いと何度か形容している上司が、何食わぬ顔で納会のテーブルにある肉類だけをかすめ取ってさっさと消えていったのをみて唖然としたまま、人生初めての納会は終わった。つくづく同性の付き合いは面倒だと思わずを得ない。性別が変われば楽なのか、と言われればそれはそれで面倒だろう。要するに面倒なのだ。深く付き合わなければならなくなったら、その心の内をある程度見せなければならなくなったら、相手に行動を制限されたら、それはストレスなのだ。僕はもう10年近く、一人で行動するかもしくは深い付き合いを避け、その代わり心の底から嫌悪感を抱くこともなく浅い狭い付き合いだけをしているから、余計にそのめんどくささが引き伸ばされて粗ばかりみえるのだろう。それを言えばあの警戒心の強い上司はめんどくさいところはひょいひょいと逃げているタイプではある。押さえるべきところはきっちり押さえているとは思うが。
自分が気に入った相手には驚くほど親切で、そのくせ親切そうな顔をのぞかせたと思った瞬間にさっとそれを引っ込めて無関心を装う。その顔を見なければいつまでも親切にしてくれる。めんどくさいんだな、と思う。親切な人だと思われるのが、それを利用されるのが、もしくは好意を持たれてどんどん踏み込まれるのが、面倒なのだなこの人は、と思う。だから僕はあまり話しかけない。面倒に思われるのが怖いからだ。隣でわたわたしてればあの人は手を差し伸べるタイプだけれども。
それとは逆にぐいぐいと踏み込まなければ、あふれるほどの優しさは持っているくせに全く出さない人もいる。何か聞けば、尋ねれば、お願いすれば、いくらでも出してくれるのにこちらが声をかけてもしばらくはエンジンがかからない。その親切心で相手が余計な御世話だと思っているかもしれないと疑うのがしんどくて怖くて、ときどきうかがうように覗き込んでくるそういう人がいる。そのあたたかい手を握ればいくらでもいつまでも握り返してくれるけれど、僕はその手を握るのは相手にとって迷惑ではないだろうかといつも立ち止まって考える。どうしようもなくて突進していけば、慌てて身構えてから全力で助けてくれるのはわかっているのに、僕はどうしようもなくなるまで動けない。
どちらも優しいのに、その優しさはあふれ出ているのに、そして僕はその優しさに甘えてばかりなのに、なのに時々なぜか優しさを隠そうとする彼らのふるまいに本気で傷ついたりする。僕も僕でまた、なにかめんどくさい習性があって彼らを寄せ付けないのだろう、と思ったりする。自分のことはわからない。