できることはただ愚直に進み続けるということだけだ

その日はトマトスープを切らしていて仕方なくストックのコーンスープを飲んでいた。旧世代の携帯の模型のような内線がなる。ちぇ、いま熱いスープを口の中に入れたばっかりなのにどうしろって言うんだ。毒づきながらもごもごと僕はその電話に出る。
はたしてインタラプター(皮肉)は人事からだった。OB訪問で学生が来るから相手してくれ。はい?まだ11月ですけど?僕は言いたいことは率直にその場で口にするタイプである。
木枯らしの吹き始めた夕方に久しぶりの本社に踏み入れ若い、作り物の笑顔を僕に向ける学生二人と対峙する。僕はしどろもどろで挨拶をし、自己紹介をする。あとは若い二人でと人事のおじさんは僕を置いてお茶を飲みに行ってしまう。僕は顔をしかめ、学生二人は困惑した顔でそんな僕を見る(多分二人とも自分は勘定に入っていないのではないかと心配したのだろうが、怯えることはない。数に勘案されていないのは僕だ)。
話せと言われれば僕だっていろんな話ができる。計測の話をすると彼らは驚いたような顔をする。君たちは優秀なんだからそれくらい少しは考えて業界を選んだほうがいい、というか選べる立場だろうと僕は思ったりするが、こういうときに限って僕はそれを口にしない。大学四年の時あるいは修士一年の時、僕は自分がこれから進もうとする分野に関して言葉を繰り返すことをやめなかった。あれやこれやと言葉を紡ぎ、こうでもないああでもないと言い続け(それが正しかったためしはないが)そうして今も聞かれればいろいろな言い方をする。相手のバックグラウンドをほんの少し聞きかじってそこからわかりやすそうな切り口を探して話すのだ。その作業は楽しい。しかしその話が彼らにとって本当に聞きたい話だったのかどうか、僕にはわからない。
学生のうちにやっておくべきことはなんですか、と彼のうちの一人が聞いた(二人は男性だ)。僕は少し考えて掌を机に水平になるように広げて空中を撫でる。
いつまでに何かを必ずやっておかなければならないということは、人生の中ではあまりない。というか本当はない。と僕は思う。だからもしあえてそれをあげるのだとすれば、やりたいことをやればいいんじゃないか。あと失敗はたくさんすること。二人はちょっと笑う。失敗することは大事だよ、と僕は言う。失敗しないことより失敗をすることで学ぶことはたくさんあるし、何より心が折れにくくなる。そしてごめんなさいをちゃんと言える人は人に好かれる。たくさん失敗をしておくとどこまではやってよくてどこからは許されないか、許されないことなんてほとんどないんだけど(彼らはまたちょっと笑う)、基準は見えてくるようになる。
大事なのはその一つ一つを知ることではなく感覚をつかむこと、その基準を抽象化できるように考えることだ、と言うことを付け足そうとして僕はやめた。かわりに別の言葉を付け足す。
まぁでもそろそろこれは好きだとかこれはどうしてもやりたいとかいうものをだいたいこの変だと見定めて、それでも視野を狭くしないように少し広めに射程域をとっていろんなことをやるのがよいと思います。僕のただの与太話を彼らはいやにうなずきながら聞く。居心地の悪さに僕は苦笑いをする。
帰り道、自分の机までの道のりを歩きながら小さな銀杏の木を見上げる。今年もまた気付かないうちに秋が来て、冬が来ていた。木々は色づき、葉が乾いた音を立てて冷たい風に揺れている。その向こうに透明な月がかかっている。
就活をしていた頃の気持ちを僕はまだ覚えている。僕は何もできなかったけれど、最終的にはマッチングの問題で、受け入れてくれるところで自分が悪くないと思えるところへ行けたのなら、それで十分だと思っていた。僕は一つずつ進んでいくことしかできない。進んでいくことすらできないときもある。でも少なくとも飛んでいくことはできないし、一瞬のうちに移動することもできないのだ。愚直に進んでいくしかない。そうするしかできない。

彼らに言ってあげればよかった、と僕は後悔する。愚直に、凡人は凡人なりに、優秀なら優秀なりに、莫迦なら莫迦なりに前に進もうとするその行為を批判したりしない、そういう空気のある場所は居心地がいいですよ。たとえ人気のある会社でなくても有名でなくても、あるいはそうだったとしても、結局は一日の大半を過ごす場所だから、できる限り気持ちよく過ごせる場所にいるのがいい。そうでなければ不快さをやり過ごせるだけの理由があるところを選ぶのがいい。僕にあなたたちがみている世界の厳しさは分からないけれど、言われているほど働くことはつらいことじゃない。全然怖くないし、人格を剥奪されることもない。すべての会社がブラックではないし、サービス残業を強要するわけでもない(うちの会社は全部出る)。有給が普通にとれる会社もある。自分を大事にして、そして見極めてください。自分が生き延びれる場所を。居心地の良いと思える場所を。