再びエネミーの話に戻るが

初めての恋人がエネミーだったという話はもう飽きるほどしたような気がするが、改めてエネミースレの話を読んであいつはほんと正真正銘のエネミーだったんだなーという認識をつよくした。その異常性も異常であることに気づかず支離滅裂な言い訳をするところも、鳩っぷりも実家との関係が切れないところも典型的なそれ。
だけど、今思い返しても、あのスレにいる人たちのように僕はばっさりと彼は悪だとは言えないのだ。僕はエネmeタイプだと思うが、それでも。
ことばができれば、それにカテゴライズすることができるけれど、そのカテゴライズのせいで相手を直視することをやめてしまう。そのカテゴリを理解して、対面する本人自身を深く理解することをやめてしまう。それを思考停止と呼ぶ。人に伝えるときはカテゴリで話せば通じるけれども、自分が理解するときにそれでいいのか(いやよくない(反語))。エネmeだった自分もわるかったけれど、と言いながらも自分は正常な方へカテゴライズして、中途半端な譲歩をして、でも悪は悪であり異常は異常であり糾弾すべきであり、その糾弾は甘んじて受け入れられるべきである。と言う。本当にそうなのか?
彼は確かにはい?ということは言ったが、僕がその手に救われたことは確かで、その手をあたたかいと思った日もあって、あるいは僕が手を差し伸べようとした日々もあって、そういう関わりの中で残った記憶はよいものも悪いものも雑多に混ざり合っている。それを一面的な言葉で表したくはない。複雑なものは複雑なまま、混沌は混とんのまま僕の心のうちに記憶しておきたい。僕にかかわったすべての人に関して僕は。嫌われてるんだろうなとかあまり好かれていないんだろうなとか苦手がられてるなとわかるときもあるけれども、それでも僕が一度でも好きだと思ったことがある人についてはそのよかった思い出くらいは忘れたくない。僕は人を好きでいたいし、誰かのことを思っていたい。親しみを感じ、寄り添い、たとえそれが僕の独りよがりや幻想であったとしても、あなたに会えてよかったと言いたい。嫌いなところは嫌いなままで。